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  • ヨハネ 20
  • 新世界訳聖書 (スタディー版)

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ヨハネの概略

    • L. 復活したキリストが現れる(20:1–21:25)

      • 弟子たちはイエスの墓が空になっているのを見つける(20:1-10)

      • 2人の天使とイエスが,マリア・マグダレネのいる所に現れる(20:11-18)

      • イエスは鍵の掛かった部屋にいる弟子たちの前に現れる(20:19-23)

      • トマスは疑うが,後に確信する(20:24-29)

      • ヨハネは「この書」の目的を説明する(20:30,31)

      • イエスはガリラヤで弟子たちの前に現れる(21:1-14)

      • ペテロがイエスへの愛を言い表す(21:15-19)

      • イエスは愛する弟子の将来を予告する(21:20-23)

      • 筆者に関する最後の言葉(21:24,25)

ヨハネ 20:1

  • 週の最初の日: マタ 28:1の注釈を参照。

    墓: または,「記念の墓」。用語集の「記念の墓」参照。

欄外参照

  • +マタ 28:1; マル 16:1, 2
  • +ルカ 24:1-3

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  • 出版物索引

    塔74 190; 目66 5/22 28-29; 目63 8/8 26

ヨハネ 20:2

  • イエスが愛情を持っていたもう1人の弟子: イエスが特に愛情を持っていた人のこと。ある弟子について,「イエスの愛する」とか「イエスが愛情を持っていた」という表現が5回使われているうちの3回目。(ヨハ 13:23; 19:26; 20:2; 21:7,20)この弟子は使徒ヨハネのことと一般に考えられている。(ヨハ 13:23; 18:15の注釈を参照。)他の4カ所では,ギリシャ語アガパオーが使われている。この節では類義語であるギリシャ語フィレオーが使われていて,その語はこの聖書翻訳でしばしば「愛情を抱く」と訳されている。(マタ 10:37。ヨハ 11:3,36; 16:27; 21:15-17。コ一 16:22。テト 3:15。啓 3:19)ヨハ 5:20; 16:27; 21:15の注釈を参照。

欄外参照

  • +ヨハ 13:23; 19:26; 21:24
  • +ヨハ 19:41, 42

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  • リサーチガイド

    「その信仰に倣う」記事6

    「洞察」

    「イエス」304ページ

    「ものみの塔」

    1990/11/15,11-12ページ

  • 出版物索引

    洞-1 1074; イ倣 記事6; イ道 304; 塔90 11/15 11-12;

    塔65 625; 目63 8/8 26; 塔61 62

ヨハネ 20:3

索引

  • 出版物索引

    目63 8/8 27

ヨハネ 20:4

索引

  • リサーチガイド

    「洞察」

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    洞-2 1125;

    目63 8/8 27

ヨハネ 20:5

欄外参照

  • +ヨハ 19:40

ヨハネ 20:6

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    「目ざめよ!」

    1998/12/22,24ページ

  • 出版物索引

    目98 12/22 24;

    目80 6/8 18; 目63 8/8 27

ヨハネ 20:7

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  • リサーチガイド

    「洞察」

    「目ざめよ!」

    1998/12/22,24ページ

  • 出版物索引

    洞-2 861; 目98 12/22 24;

    目80 6/8 18; 塔63 240; 目63 1/8 26

ヨハネ 20:8

索引

  • リサーチガイド

    「洞察」

  • 出版物索引

    洞-2 1125

ヨハネ 20:9

  • 聖句: 詩 16:10かイザ 53:10を指すと思われる。イエスの弟子たちでさえ,メシアに関する一部の預言はまだ理解していなかった。メシアが退けられ,苦しみ,死んで復活することを述べた預言については特にそうだった。(イザ 53:3,5,12。マタ 16:21-23; 17:22,23。ルカ 24:21。ヨハ 12:34)

欄外参照

  • +詩 16:10; マタ 16:21; 使徒 2:27

ヨハネ 20:10

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  • 出版物索引

    目63 8/8 27

ヨハネ 20:11

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    「その信仰に倣う」記事6

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    イ倣 記事6;

    目63 8/8 27

ヨハネ 20:12

欄外参照

  • +マル 16:5

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  • 出版物索引

    目63 8/8 27

ヨハネ 20:13

脚注

  • *

    直訳,「女性よ,なぜ」。

ヨハネ 20:14

欄外参照

  • +ルカ 24:15, 16, 30, 31; ヨハ 21:4

索引

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    「その信仰に倣う」記事6

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    イ倣 記事6;

    今 169; 塔73 420; 塔63 239; 目63 1/8 26; 目63 8/8 27

ヨハネ 20:15

脚注

  • *

    直訳,「女性よ,なぜ」。

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  • リサーチガイド

    「その信仰に倣う」記事6

  • 出版物索引

    イ倣 記事6

ヨハネ 20:16

  • ヘブライ語: ヨハ 5:2の注釈を参照。

    ラボニ!: 「私の先生」を意味するセム語系の言葉。「ラボニ」はもともと「ラビ」より敬意のこもった称号で,温かな表現だったと考える人もいる。しかし,こことヨハ 1:38でヨハネは両方の称号を単に先生と訳した。「ラボニ」という称号の末尾には「私の」を意味する一人称接尾辞「イ」があるが,それはヨハネが福音書を書いた時には,恐らく特別な意味を失っていたのだろう。

索引

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    「その信仰に倣う」記事6

    「洞察」

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    洞-2 898; イ倣 記事6;

    塔63 239; 目63 1/8 26; 目62 7/8 7

ヨハネ 20:17

  • 私にすがり付くのはやめなさい: ギリシャ語動詞ハプトマイは「触る」あるいは「すがり付く」,「しがみつく」を意味する。一部の翻訳では,イエスの言葉が「私に触ってはなりません」と訳されている。しかし,イエスはマリア・マグダレネに,単にイエスに触れることが駄目だと言っていたわけではない。復活したイエスに会った女性たちが「イエスの足をつか」んだ時,イエスはそれを拒まなかった。(マタ 28:9)マリア・マグダレネは,イエスが今にも天に昇ってしまうのではないかと不安になったようだ。主と共にいたいという強い願いから,イエスにしがみついて放さなかった。イエスは自分がまだ去っていくわけではないことをマリアに納得させるために,すがり付くのではなく弟子たちの所に行って,自分が復活したことを知らせるよう指示した。

    私の神であなたたちの神である方: 西暦33年のニサン16日のイエスとマリア・マグダレネのこの会話から,マリア・マグダレネにとって父が神であったのと同じように,復活したイエスは父を自分の神と見ていたことが分かる。2日前,杭に掛けられた時,イエスは「私の神,私の神」と叫んで,詩 22:1の預言を実現し,さらに父が自分の神であると認めていることを示した。(マタ 27:46。マル 15:34。ルカ 23:46)「啓示」の書でも,イエスは父のことを「私の神」と言っている。(啓 3:2,12)これらの聖句は,復活して栄光を受けたイエス・キリストが,イエスの弟子たちと同じように天の父を神として崇拝していることをはっきり示している。

欄外参照

  • +マタ 28:10
  • +ヨハ 14:28; 16:28
  • +コ一 11:3; エフ 1:17; コロ 1:3

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    「その信仰に倣う」記事6

    「いつまでも幸せに暮らせます」レッスン19

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2008/4/15,32ページ

    2004/12/1,31ページ

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    洞-2 898; イ倣 記事6; 暮 レッスン19; 塔08 4/15 32; 塔04 12/1 31;

    聖 25; 千 276; 目73 6/8 29; 目72 6/22 6; 塔69 287; 事 270; 塔62 660-661; 目62 11/22 6; 塔51 79

ヨハネ 20:18

欄外参照

  • +ルカ 24:9, 10

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    「その信仰に倣う」記事6

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    イ倣 記事6;

    目63 8/8 27

ヨハネ 20:19

  • ユダヤ人: ユダヤ人の権力者または宗教指導者を指すと思われる。ヨハ 7:1の注釈を参照。

欄外参照

  • +ルカ 24:36

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    「ものみの塔」

    1990/3/15,25ページ

    1988/2/15,15-16ページ

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    塔90 3/15 25; 塔88 2/15 15-16;

    目73 2/8 6; 目73 11/8 6; 目66 5/22 29; 塔63 239,421; 塔62 10,165; 目62 7/8 6

ヨハネ 20:20

欄外参照

  • +ルカ 24:39, 40; ヨハ 19:34
  • +ヨハ 16:22

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    塔63 239

ヨハネ 20:21

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  • +ルカ 24:36
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ヨハネ 20:22

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  • +使徒 2:2, 4

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ヨハネ 20:23

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    「聖書 Q&A」記事99

    「ものみの塔」

    1996/4/15,28-29ページ

    1991/3/15,6ページ

    「論じる」156-157ページ

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    イ聖 記事99; 塔96 4/15 28-29; 塔91 3/15 6; 論 156-157;

    目75 2/22 28; 塔69 669-671; 目69 4/8 27

ヨハネ 20:24

  • 双子: ヨハ 11:16の注釈を参照。

欄外参照

  • +マタ 10:2, 3
  • +ヨハ 11:16

ヨハネ 20:25

欄外参照

  • +ヨハ 19:34
  • +ヨハ 14:5

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    「ものみの塔」

    1987/8/15,29ページ

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    塔87 8/15 29;

    塔85 2/1 31; 塔70 30; 目62 11/8 15

ヨハネ 20:26

欄外参照

  • +ヨハ 20:19; コ一 15:3, 5

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    塔75 671; 塔73 420,526; 目73 2/8 6; 塔62 10,165; 目62 7/8 6

ヨハネ 20:27

脚注

  • *

    直訳,「信じていないのではなく」。

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    「聖書 Q&A」記事93

    「洞察」

    「ものみの塔」

    2004/12/1,31ページ

    「永遠に生きる」143-145ページ

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    洞-2 396-397; イ聖 記事93; 塔04 12/1 31; 楽 143-145;

    塔73 526; 目73 11/8 6; 塔69 287; 塔63 239; 塔62 343

ヨハネ 20:28

  • 私の主,私の神!: イエスに向かって言われたこの驚きの叫びを,実際にはイエスの父である神に対して語られた言葉と見なす学者もいる。一方,原語のギリシャ語からすれば,この言葉はイエスに対するものだと主張する学者もいる。そうだとしても,「私の主,私の神」という表現は聖書の他の部分と照らし合わせて理解するのが最善である。イエスがそれ以前に,「私は,私の父であなたたちの父である方,私の神であなたたちの神である方のもとへ上る」と弟子たちに伝えたということが記録されているので,トマスがイエスを全能の神と思っていたとは考えられない。(ヨハ 20:17の注釈を参照。)トマスはイエスが祈りの中で「父」のことを「唯一の真の神」と言うのを聞いていた。(ヨハ 17:1-3)それで,トマスがイエスに「私の神」と呼び掛けたのは次の幾つかの理由によると考えられる。トマスは,イエスが全能の神(God)ではないものの「神」(a god)であると見なした。(ヨハ 1:1の注釈を参照。)あるいはトマスは,ヘブライ語聖書の中で,神に仕える人がエホバの使者である天使に呼び掛けたのと同じような仕方で,イエスに呼び掛けたのかもしれない。ヘブライ語聖書では,天使があたかもエホバ神であるかのように,登場人物やその出来事を述べる聖書筆者が,その天使と受け答えしたりその天使のことを述べたりしている。トマスはそうした記述をよく知っていただろう。(創 16:7-11,13; 18:1-5,22-33; 32:24-30,裁 6:11-15; 13:20-22と比較。)それで,トマスはイエスが真の神の代理また代弁者であることを認めているという意味で,イエスを「私の神」と呼んだのかもしれない。

    「主」や「神」という語の前にギリシャ語の定冠詞があるので,それらの語は全能の神を指していると主張する人がいる。しかし,この文脈で冠詞が使われているのは,単にギリシャ語の文法によるものかもしれない。ギリシャ語では,主語に使われる名詞に定冠詞が付くと呼び掛けの形になる。そのような例がルカ 12:32とコロ 3:18–4:1にある。それらの聖句の元のギリシャ語本文では,「小さな群れ」,「妻」,「夫」,「子供」,「父親」,「奴隷」,「主人」といった表現の前にギリシャ語の定冠詞が付いている。ペ一 3:7の「夫」という言葉も同じようになっている。ここでトマスがどんな考えでこの言葉を言ったかを判断する上で,冠詞があるかどうかは重要なことではないだろう。

欄外参照

  • +ヨハ 20:17, 31

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    「洞察」

    「イエス」307ページ

    「目ざめよ!」

    2005/4/22,9ページ

    「ものみの塔」

    1992/1/15,23ページ

    1988/6/1,19ページ

    「論じる」54-55ページ

    「三位一体」29ページ

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    洞-1 182-183; イ道 307; 目05 4/22 9; 塔92 1/15 23; 論 54-55; 三 29; 塔88 6/1 19;

    塔84 3/1 14; 塔75 154; 目72 6/22 6; 塔62 660,667

ヨハネ 20:29

欄外参照

  • +コ二 5:7

ヨハネ 20:30

脚注

  • *

    直訳,「しるし」。

欄外参照

  • +ヨハ 21:25

索引

  • 出版物索引

    塔63 679

ヨハネ 20:31

欄外参照

  • +ヨハ 3:15; 5:24; ペ一 1:8, 9; ヨ一 5:13

索引

  • 出版物索引

    塔75 154; 塔73 294; 目73 6/22 29; 塔65 744; 塔63 679; 塔62 661

訳の一覧

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ヨハ 20:31ヨハ 3:15; 5:24; ペ一 1:8, 9; ヨ一 5:13
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新世界訳聖書 (スタディー版)
ヨハネ 20:1-31

ヨハネ​に​よる​福音​書

20 週の最初の日,マリア・マグダレネは朝早くまだ暗いうちに墓に来た+。すると,すでに墓の入り口から石がどけられていた+。 2 それで走って,シモン・ペテロ,およびイエスが愛情を持っていたもう1人の弟子+の所に行き,こう言った。「誰かが主を墓+から運び去りました。どこに持っていったのか分かりません」。

3 ペテロともう1人の弟子は墓に向かった。 4 2人は一緒に走りだしたが,もう1人の弟子の方が速く,先に墓に着いた。 5 そして前かがみになってのぞくと,亜麻布が置いてあるのが見えたが+,中には入らなかった。 6 次いでシモン・ペテロが来て,墓の中に入った。亜麻布が置いてあるのが見えた。 7 イエスの頭を包んでいた布は,体に巻かれていた布とは別の場所に丸めて置いてあった。 8 その時,墓に先に着いた方の弟子も中に入り,見て信じた。 9 2人は,イエスが必ず生き返るという聖句をまだ理解していなかった+。 10 それで自分の家に戻っていった。

11 一方,マリアは墓の外に立ったまま泣いていた。泣きながら前かがみになって墓の中をのぞくと, 12 イエスの体が置いてあった所に,白い衣服をまとった天使2人+が座っていた。1人は頭の所,1人は足の所にである。 13 2人は言った。「なぜ*泣いているのですか」。マリアは言った。「誰かが私の主を運び去り,どこに持っていったのか分からないのです」。 14 こう言った後,振り返ると,人が立っているのが見えたが,それがイエスだとは気付かなかった+。 15 イエスはマリアに言った。「なぜ*泣いているのですか。誰を捜しているのですか」。マリアは,それが庭師だと思って,こう言った。「もし主を移動させたのでしたら,どこに置いたのか教えてください。私が引き取ります」。 16 イエスは,「マリア!」と言った。マリアは向き直ると,ヘブライ語で,「ラボニ!」(「先生」という意味)と言った。 17 イエスは言った。「私にすがり付くのはやめなさい。私はまだ父のもとへ上っていません。でも,私の兄弟たち+の所に行って,こう伝えなさい。『私は,私の父+であなたたちの父である方,私の神+であなたたちの神である方のもとへ上る』」。 18 マリア・マグダレネは行って,「主を見ました!」と弟子たちに知らせ,イエスが言ったことを伝えた+。

19 週の最初であるその日の遅く,弟子たちがユダヤ人たちへの恐れのために戸に鍵を掛けていたのに,イエスが現れて皆の真ん中に立ち,「あなたたちに平和がありますように」と言った+。 20 そう言ってから,両手と脇腹を見せた+。こうして弟子たちは主を見て喜んだ+。 21 イエスは再び言った。「あなたたちに平和がありますように+。天の父が私を遣わしたように+,私もあなたたちを遣わします+」。 22 そう言った後で,弟子たちに息を吹き掛けて,言った。「聖なる力を受けなさい+。 23 あなたたちが人の罪を許すなら,それは許されています。あなたたちが人の罪を許さないなら,それは許されていません」。

24 12人の1人+で,双子と呼ばれるトマス+は,イエスが現れた時,その場にいなかった。 25 それでほかの弟子たちはトマスに,「私たちは主を見た!」と言っていた。しかしトマスは言った。「その手にくぎの痕を見て,私の指をくぎの痕に入れ,手をその脇腹に当ててみない限り+,決して信じない+」。

26 8日後,弟子たちは再び室内にいて,トマスも一緒だった。戸に鍵が掛かっていたのに,イエスが現れて皆の真ん中に立ち,「あなたたちに平和がありますように」と言った+。 27 次いでトマスに言った。「指でここを触り,私の手を見て,私の脇腹に手を当てなさい。そして,疑うのをやめ*,信じなさい」。 28 それに対してトマスは言った。「私の主,私の神+!」 29 イエスは言った。「私を見たので信じたのですか。見なくても信じる人は幸福です+」。

30 確かにイエスは,弟子たちの前でほかにも多くの奇跡*を行ったが,それはこの書には記されていない+。 31 とはいえ,あなた方が,イエスが神の子キリストであることを信じるため,そして信じてイエスの名によって命を受けるために,以上のことが記されたのである+。

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