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どうして神の存在を信ずるのですかものみの塔 1973 | 4月15日
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たことを示しています。さらに聖書は,神が現行のような邪悪な状態の続くのを許すどころか,まもなくそうした状態を終わらせて,この地に楽園を回復させようとしておられることを示しています。これまでに死んだ人たちの多くは復活によって生き返らされるでしょう。しかし,神の存在に対する信仰をいだいて初めて,心を元気づけるそうした事がらを理解することが可能になるのです。―創世 3:3,17-19。伝道 7:29。ヨハネ 5:28,29。黙示 21:3,4。
一方,あなたは神の存在を信じてはいないとしましょう。では,何千年ものあいだ悪が続いてきたことの背後に,ある目的を認めて,悪が続いてきたことを何らかの満足のゆく仕方で説明できますか。仮にあなたのお子さんの祖母,あるいは若い学友のだれかがなくなったとしましょう。いったいどうして死などということがあるのかを,お子さんに納得のゆくように説明できますか。
神の存在に対する信仰の有無の相違を考慮する人たちは,シカゴ・トリビューン紙上次のように述べたある著述家と同様の結論を下すでしょう。
「人間をむなしい空間に漂う生物学的偶然の存在と見る,神を認めない世界観は,無情で,無益で,不条理な見方と言えよう」。
したがって,神の存在に対する信仰を受け入れるのは何と合理的なのでしょう。そうすれば,人生は目的を持つものとなりうるのです。
もちろん,あなたが神やこの地上の状態に関して疑問に思っている問題はほかにもあるかもしれません。では,エホバの証人が聖書から指摘して説明することを考慮してみてはいかがですか。神の存在に対する信仰を持ったなら,どんな益が得られるかについて個人的に説明してほしいとエホバの証人に尋ねてみてください。あなたの住んでおられる地区のエホバの証人のだれかを捜し出せないようでしたら,ものみの塔協会に手紙で連絡してください。そうすれば,だれかがあなたをお尋ねするよう取り計らうことができます。また,その奉仕は無償でなされます。
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時の緊急性を強調したピッツバーグの集会ものみの塔 1973 | 4月15日
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時の緊急性を強調したピッツバーグの集会
去る10月1日に,アメリカ,ペンシルベニヤ州,ピッツバーグ市の市民競技場でものみの塔ギレアデ聖書学校第53期生の卒業式をかねたペンシルベニヤ州のものみの塔聖書冊子協会の年次総会が開かれました。
ものみの塔協会の副会長,F・W・フランズは,今日神の民の間に無関心の広まることがないように強い訓戒を与えました。わたしたちのうちにだれか,神が裁きを執行するのはまだまだ先のことだから,この世を特徴づける安易な生活に戻ることができる,と考える傾向をもつ人がいるでしょうか。もしいるとすれば,わたしたちはその態度を正し,ペテロ後書 3章12節の霊感による助言に従わねばなりません。文語聖書によると,クリスチャンは,そこで,『神の日のきたるを待ち,これをすみやかにせんことを勉』めるようにと強く勧められています。わたしたちは,裁きの執行される神の日の到来に関する神の予定を実際に早めることができるでしょうか。いいえ,それはできませんが,新世界訳聖書がより正確に訳出しているように,その日を「しっかり覚え」つづけることはできます。ペテロや当時の他のクリスチャンたちは,その「日」がいつ来るかを正確に知る方法はありませんでしたが,その到来が絶対に確実であることは知っていました。それで十分だったのです。今日では,わたしたちは,すでに年老いた人びとの世代が,神の新秩序にはいる道を開く予告されていた大患難をまさに経験しようとしていることを示す,おびただしい証拠を持っています。ですからわたしたちは,思いや心の中でその日を遅らせるのではなく,それが近いことを意識しつつ毎日を送るべきです。
午前10時に始まった年次総会の席上で,ものみの塔協会のN・H・ノア会長が明らかにしたところによると,過去5年間に全世界で68万人以上の人びとがバプテスマを受け,これらの人びとは現在のエホバの証人の41%にあたります。
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