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だれが人類を支配すべきかものみの塔 1962 | 5月15日
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諸の預言者諸の先見者によりてイスラエルとユダに見證をたて汝等ひるがへりて汝らの悪き道を離れわが誡命わが法度をまもり我が汝等の先祖等に命じまたわが僕なる預言者等によりて汝等に伝えし法にかなふようにせよと言たまへり」。―列王下 17:12,13。
人々が神を王として認めず,神のいましめを破って大きなあやまちを犯したとき,国は災を受けました。彼らの経験は次のことをよく教えています。すなわち人類が栄えるためには,神に聞き従い,神の定めに従わねばならないということです。
現代の政府
今日の世界の諸政府の中で神を代表する政府がありますか。神から任命された人間の王,独裁者,首相あるいは大統領がいますか。一人もいません。キリスト前7世紀にバビロンの軍隊が神の許しによってエルサレムを滅ぼして以来,神の認める政府の存在したことは一度もありません。エルサレムの最後の王ゼデキヤに対して,エホバは言われました,「かぶり物を脱ぎ,冠を取り離せ。すべてのものは,そのままには残らない。卑しい者は高くされ,高い者は卑しくされる。ああ破滅,破滅,破滅,わたしはこれをこさせる。わたしが与える権威をもつ者が来る時まで,その跡形さえも残らない」。―エゼキエル 21:26,27,新口。
そのとき,サタン悪魔は最も完全な意味で,「この世の神」となりました。(コリント後 4:4,新口)人間のすべての政府はサタンの支配を受けています。それゆえに使徒ヨハネは次のことを述べたのです。「また,わたしたちは神から出た者であり,全世界は悪しき者の配下にあることを,知っている」。(ヨハネ第一 5:19,新口)従ってそのことに同意しても同意しなくても,聖書を信ずる人は,世界の政治指導者のすべて,たとえどんなに良い意図を持つ指導者であっても,そのすべてがサタン悪魔の支配を受けているということを認めなければなりません。イエスは,ご自分の追随者について「あなたがたはこの世のものではない」と言われました。(ヨハネ 15:19,新口)しかしこの世の指導者は,たしかにこの世のものです。彼らはこの世の献身的な友であり,この世を永続させることに努めています。そのある者は教会の熱心な会員で,聖書の神を崇拝していると主張するかも知れません。しかし聖書は次のことを明白にしています,「世を友とするのは,神への敵対であることを,知らないか。おおよそ世の友となろうと思う者は,自らを神の敵とするのである」。(ヤコブ 4:4,新口)彼らを信頼する者は,失望するでしょう。今こそ,神に認められた支配者に頼り,その支配に服することが緊急に必要です。
正しい権威を持つ支配者
「権威を持つ者」すなわち支配する権威を神から受けた者は,東の陣営の,権力を求める無神論の独裁者ではなく,あるいは民主的に選ばれた西の陣営の指導者でもありません。神が権威を与えたのは,神の御子イエス・キリストです。キリストはすでに天において王の位につきました。神はキリストに「主権と光栄と国とを賜い,諸民,諸族,諸国語の者を彼に仕えさせ」ます。(ダニエル 7:14,新口)今なお世界支配を目ざして争っている地の王たちや支配者は,神の御国を無視しているのです。彼らは,神が位につけた王に服従せず,自分たちが権力をとることを望んでいます。詩篇 2篇は,その敵対の態度を述べ,つづいて次のように述べています,「天に座するもの笑ひたまはん主かれらを嘲りたまふべしかくて主は忿恚をもてものいひ大なる怒をもてかれらを怖じまどはしめて宣給ふ然れども我わが王をわがきよきシオンの山にたてたりと」。神はご自分の立てた王に言われます,「汝くろがねの杖をもて彼等をうちやぶり陶工のうつはもののごとくに打碎かんと」― 詩 2:4-6,9。
その御国の支配の下で義は栄え,地のあらゆる場所に正義がおよぶでしょう。貪欲で利己的な支配者はいなくなります。新しい世の王については,次のことが言えます,「あなたの支配のつえは,公平のつえである。あなたは義を愛し,不法を憎まれた。それゆえに,― 神,あなたの神は,喜びのあぶらを,あなたの友に注ぐよりも多く,あなたに注がれた」。「彼の世に義は栄え,平和は月のなくなるまで豊かであるように。彼は海から海まで治め,川から地のはてまで治めるように」。全人類を治める一人の支配者そして本当に正義を愛する支配者をいただくことは,何と大きな喜びをもたらすことでしょう。神に認められた,神の御手によって必ず成功をおさめる支配者の支配に服することは,大きな祝福となります。―ヘブル 1:8,9。詩 72:7,8,新口。イザヤ 9:7。
全人類を治めるこの正しい支配者によって,地球は楽園の美に包まれたところとなり,戦争と災,病気と死さえも無くなります。この支配者は,人類がエホバ神に従い,一致した崇拝をささげるように,人々を導きます。そのようにして御父に栄光を帰すると共に,その支配の下にあるすべての人を祝福します。―コリント前 15:26。イザヤ 66:23。
これらの事が実現するというどんな保証がありますか。この約束を与えた神は,その成就を保証しています。これは人間の空しい希望ではありません。これは神の言葉,聖書に書きしるされた神の御目的です。天と地の創造主エホバ神は全能です。その御目的が成就せずに空しく終わることは,決してありません。神は,誰が世界を支配するかという問題を,すでに決定されました。支配しているエホバの王に従わない人は,間もなく永遠の滅びを受けるでしょう。ゆえに今こそ,この王の弟子であることを証明すべき時です。そのためには,世から離れ,権力欲につかれた政治組織と関係せず,また聖書に従わないで神をけがす宗教から離れなければなりません。いまこそ神に献身して,イエス・キリストの御手にある神の御国を公に支持する者となる時です。そうするとき,私たちは神の保護によってこの世の終りを生き残り,永続する新しい世に住む幸福な人の一人に数えられるでしょう。
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若い奉仕者も実を結ぶものみの塔 1962 | 5月15日
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若い奉仕者も実を結ぶ
話すことのできる子供はどんなに小さくても,エホバ神の証者になることができます。しかも証言できるだけでなく,実を結ぶことができるのです。1962年のエホバの証者の年鑑に出た次の経験は,そのことを示しています。
証者であるベルギーの一主婦は,隣人がエホバの御国に興味を持つようにと努力してきましたが,成功しませんでした。ところがある日,この人が来て聖書を求め,自分の家で聖書を勉強したいと申し出ました。なぜその気持ちになったのですか。この証者の子供たちが遊び仲間に証言をしていたのです。それで子供が自分の聞いた事を母親に告げたので,母親は興味を持つようになりました。
12歳になるチリの子供の証者は,自分の遊び仲間と聖書のことを話し合ったところ,一人の友だちの家に招待され,その家を訪問していたカトリックの一婦人に話をすることになりました。前以て準備したその子供は,効果的な聖書の話をすることができ,聖書の手引,「失楽園から復楽園まで」を配布しました。その婦人は子供のまじめな態度と能力に心を打たれたので,定期的な聖書研究を望んだだけでなく,子供の両親でなくてその子供からどうしても教わりたいと言いました。
おとなは同年配の人よりも子供の奉仕者に耳を傾けることがよくあります。聖書の講演に人の集まりが悪かったハイチのある都市で,ある日曜日のこと,御国会館に満員の人が集まりました。どうしてですか。はじめて来た人々のほとんど全部は,近所の家を訪問して聖書の講演を知らせた8歳の少女のすすめに応じて,やって来たのです。
ギリシャでのこと,14歳の一証者は手術のために入院したとき,「失楽園から復楽園まで」という聖書の手引を持って行きました。機会を巧みに利用したこの少女の言葉を聞いて,病院の外科医長が大きな興味を覚え,8日のあいだ,毎晩この少女の部屋に来てこの本を一緒に勉強しました。そして少女が退院したときには,「ものみの塔」と「目ざめよ!」を予約し,毎週2回,病院で聖書研究を開くこともとりきめました。この人は研究をつづけ,いまではエホバの証者の集会に出席しています。
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