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生命と生命の授与者に感謝するものみの塔 1961 | 6月1日
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送らせたなら,忙しいといっていつまでもそれを読まずにほっておきますか。あなたはあらん限りの注意をその手紙に集中するでしょう。それと同じように,宇宙の支配者から来る手紙には細心の注意を払わねばなりません。記録された御言葉である聖書には,人間に対する創造者の御こころが示されています。時間をつくって,神が私たちに対する教えとして書かせたことを学ぶことにより,神に尊敬と感謝を示しましょう。
ずっとむかしダビデ王は,偉大なる生命の授与者に感謝を表わし,他の者にもそうすることをすすめました,「エホバに感謝しそのみ名をよびそのなし給へることもろもろの民らの中にしらしめよエホバにむかひてうたへエホバをほめうたへそのもろもろのくすしきみわざをかたれ そのきよきみ名をほこれエホバをたづぬるものの心はよろこぶべし エホバとそのみちからとをたづねよつねにその聖顔をたづねよ」― 歴代志上 16:8-11。
生命の授与者の愛に満ちたご親切は,もう一つのすばらしい賜物で表わされています。しかし,この賜物は,だれにでも無差別に与えられるものではなく,まえもってそれに感謝を示す人々に与えられるものです。この賜物とは永遠の生命です。神は最初人間に命を与えることができました。同様に神はそれを無限に延ばすことができます。生命自体がすばらしい贈り物である以上,永遠の生命はもっともっとすばらしい賜物です。偽りのないかた,約束を破ったことのないかたがそれを約束されたからには,人類は確信をもってそれを待ち望むことができます。記録された神の御言葉は,「偽りのない神が永遠の昔に約束された永遠のいのちの望み」を約束しています。―テトス 1:2,新口。
もしあなたが,いま楽しんでいる生命という賜物に感謝をもっていないなら,生命の授与者が,あなたに永遠の生命を贈る必要がどこにあるでしょうか。この贈り物は,言葉と行為によって心から感謝を表わす人々のためにとってあるものであり,誠実と忠実に対する報いとして与えられるものです。あなたは,まえにあげた贈り物のどれ一つにも感謝を示さなかった人に飛び切り良い贈り物はしないでしょう。それと同じく神も感謝しない人に永遠の生命は与えられません。
生命が最も貴重なもちもので,自分の好きな多くのよい事を楽しむためにそれが必要である以上,あなたの主要な目的は,永遠の生命という贈り物を得ることにあるべきです。これをもつ時,生存のよろこびは,いまの短い一生よりはるかに長くなります。それに比較すれば,今日の私たちの一生は,すぐに消える霧のようです。もしあなたが,いまもっている命に感謝されるなら当然,より偉大な生命である永遠の生命を追い求められるでしょう。それを得るには,生命の授与者の御こころを学び,それを行なうことによって,自分が永遠の生命を受けるにふさわしい者であることを証明しなければなりません。
神から受けたすべての賜物,また与えると約束されたものに対し,神に感謝しましょう。「ヱホバに感謝せよそのめぐみはふかくそのあはれみはかぎりなし」。―歴代志上 16:34。
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マラヤで忠実を保つものみの塔 1961 | 6月1日
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マラヤで忠実を保つ
マラヤは,まだまだ多くの開拓者を必要としています。それで,多くの新しい人々がこの必要を満たすべく開拓者になっています。コチコチの仏教徒の家で育ったある若い男の人が,地域大会に出席しました。この人はまだ聖書の研究はしていませんでしたが,この大会で野外奉仕に参加しました。自分の町に戻ってからその人は熱心に勉強をはじめ,開拓者として,一生の目的を追求しはじめるために,洗礼を受けることを望みました。最初の試練がやってきました。それは,その人のおばあさんの葬式に参列した時でした。親類の者はみな,ひつぎのまえで礼をしなければならないのがその土地の習慣です。兄弟はそれを拒絶しました。ほかの「キリスト教徒」の親類はみな礼をしたのに,これにはみんな驚きました。父親は烈火のごとく怒って彼を勘当してしまいました。仕事が提供されました。でも彼はそれもことわって,その代わりに休暇開拓の申込みをしました。それは正規開拓者の仕事をする資格ができるまでです。休暇開拓の申込書に記入された野外奉仕報告の平均はどのくらいだったでしょうか。実に奉仕時間110時間,再訪問40,家庭聖書研究5というすぐれたものでした。―1961年のエホバの証者の年鑑より。
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