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  • エホバは他のあらゆる神々とどのように異なっておられるか
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エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1972
塔72 5/15 292–296ページ

エホバは他のあらゆる神々とどのように異なっておられるか

1 諸国民の神々はその像においてどのように描かれていますか。

諸国民の神々はどんな神ですか。世界の各地にあるさまざまな神々の像を幾つか見てごらんなさい。たとえそれらの像は,そうした神々のものとみなされている特質あるいは性向を単に表現したものとして崇拝者に受け入れられているにすぎないとはいえ,それらの像はどのようなものとして描かれていますか。たいていは,無情で冷淡な,恐ろしくて意地の悪い,気まぐれで,こわくて近寄りがたい,容易にはなだめられない,憫れみのない神として描写されています。

2 人間はエホバの姿を見ることができますか。なぜそういえますか。

2 真の神は人間の目には見えません。神のみ子は地上におられたとき,「神は霊です」といわれました。み子はご存じでした。エホバを実際にご覧になったことがあったからです。(ヨハネ 4:24,新)エホバは親切にもご自分の姿を人間の目にあらわさないようにしておられます。エホバの力と荘厳さと光輝はあまりにも偉大で,人間の目はそれを見るには堪えません。「我を見て生る人あらざればなり」とエホバは仰せになります。―出エジプト 33:20。

3 エホバを崇拝するのに,エホバを見ることはなぜ肝要ではありませんか。

3 単に人の外見を見るよりも,人の個性や特質を知るほうが重要であるということに気づくなら,神がご自身を人に見させないようにしておられる理由を理解することができます。というのは,エホバは,ご自分の崇拝者から霊と真理とをもって崇拝されることを欲しておられるからです。(ヨハネ 4:23)荘厳この上ない偉大な神で,霊であられるかたがご自分を人間に信じさせるため,人間の視界内に現われなければならないとどうして言えるのでしょうか。エホバに仕えるのは,像あるいは何らかの姿のゆえでもなければ,それによって仕えるわけでもありません。それら崇拝者たちは義を愛するゆえに,またエホバの義・愛・知恵・公正などの特質のゆえに仕えるのです。

描画的な黙示

4 どうすれば,神にかんする描画的な黙示を理解できるようになりますか。

4 したがってエホバは,その真理のことばを通して,また描画的な表象によってご自身を,つまりご自分の性質を啓示しておられます。その預言者たちの見た幻の中で与えられたそれらの黙示のあるものは,畏怖の念を起こさせるものではあっても,最初は奇妙で理解しがたいもののように思えるかもしれません。しかし,それが与えられた時の状況や聖書中の他の陳述を考慮すると,はっきり理解できるようになります。それら預言的な幻はエホバの崇拝者たちの信仰にとって重大な意味を持っています。それは真の神とその行動をいかなる像よりもはるかに効果的に描写しています。

5 エゼキエルはどこで,またいつ彼の最初の幻を与えられましたか。

5 そうした幻の中でも非常に顕著なものの一つは預言者エゼキエルが見た幻です。その当時,エゼキエルは他のユダヤ人とともに流刑の身としてバビロニアに捕われていました。それは,ネブカデネザル王がユダのエコニヤ王をはじめ君たちや勇士たち,また技術者たちを捕虜として連れ去ってから5年目,西暦前613年の春の終わりごろのことでした。―エゼキエル 1:1-3。

6 当時エホバがエゼキエルに現われたのは,どんな理由からでしたか。

6 当時,エホバは,エゼキエルがいた場所の西方800余㌔の所に位置するエルサレムに対して怒りをいだいておられました。西暦前617年,ネブカデネザルがエコニヤ王を廃してゼデキヤ(マツタニヤ)を王にしたさい,神はその都市を存続させて憫れみを示されました。にもかかわらず,その都市の住民は偶像崇拝を続け,相変わらず神に反抗し,エホバよりもむしろエジプトに助けを求めました。(列王下 24:11,14-20。エゼキエル 17:15)そこで神はエゼキエルを通して,きたるべきエルサレムの滅びにかんする警告をバビロンにいたユダヤ人に与えました。また,その都の住民の一部に対しては憫れみを示すことをも予告して,慰めをお与えになりました。同時に神は畏怖の念を起こさせずにはおかないご自身の荘厳さと比類のないすぐれた特質を一見させました。

7,8 エゼキエルは自分の見た事がらをどのように描写しましたか。

7 エホバがその幻を示した目的,すなわちエルサレムを滅ぼすために軍勢を指揮するのはご自分であることを示すという目的を考えると,エホバは壮大な戦車以上にすぐれたどんな例をお用いになれたでしょうか。祭司エゼキエルは自分の見た事がらを描写して,次のように書きました。

8 「わたしが見ていると,見よ,激しい風と大いなる雲が北から来て,その周囲に輝きがあり,たえず火を吹き出していた。その火の中に青銅のように輝くものがあった。またその中から四つの生きものの形が出てきた。その様子はこうである。彼らは人の姿をもっていた。おのおの四人の顔をもち,またそのおのおのに四つの翼があった。その足はまっすぐで,足のうらは子牛の足のうらのようであり,みがいた青銅のように光っていた。その四方に,そのおのおのの翼の下に人の手があった。この四つの者はみな顔と翼をもち,翼は互に連なり,行く時は回らずに,おのおの顔の向かうところにまっすぐに進んだ」― エゼキエル 1:4-9,口語。

9 幻の中の「生きもの」はだれでしたか。

9 後にエゼキエルは神の戦車にかんする二番目の幻を見ましたが,その中で彼は四つの生きものを「ケルブたち」と呼んでいます。(エゼキエル 10:1-22,新; 11:22)それら強力な霊者たち,つまり強大な力を持つみ使いたちは,神の「戦車」はもとより神の王座のまわりで従者として仕えています。―出エジプト 25:18-22; 37:7-9。黙示 4:6-9。

他の神々にはない属性

10 ケルブたちの四つの顔は何を表わしていましたか。

10 ケルブにはおのおのその前面に人間の顔があり,翼の下には人間の手がありました。人間の場合,その父祖アダムは神の形とさまに似るものとして創造されましたが,ケルブたちも人間と同様,愛という特質を神から付与されました。(創世 1:26-28)また,おのおののケルブの頭の右側にはライオン(果敢な公正の象徴)の顔がありました。(イザヤ 31:4。黙示 5:5)その反対側には雄牛(力,強さの象徴[ヨブ 39:9-11])の顔がありました。こうして公正はいみじくも,無敵の力によって維持もしくは支持されているものとして表わされました。ケルブの頭の後の鷲の顔は,遠目のきく鷲が高く飛びかける天に相応する天的な知恵をさし示します。(ケルブたちは四つの翼を持っていました。)― ヨブ 39:27,29。

11 顔はおのおの独自の方向を向いていたので,象徴的にいってケルブたちは何を行なえましたか。

11 それら四つの顔はおのおの独自の方向を向いていましたから,ケルブたちはどの顔の向かう方向にも赴けました。四つの特質もしくは属性のどれを行使する必要のある特定の状況が生じても,ケルブはその特質を表わす顔の向く方向に目標めざして直ちに赴けました。ケルブたちの進む速さは稲妻のようでした。エゼキエルはこうした事がらを幻の中で見て,次のように報じています。

12 ケルブたちの外見と動きを述べなさい。

12 「彼らはおのおのその顔の向かうところへまっすぐに行き,霊の行くところへ彼らも行き,その行く時は回らない。この生きもののうちには燃える炭の火のようなものがあり,たいまつのように,生きものの中を行き来している。火は輝いて,その火から,いなずまが出ていた。生きものは,いなずまのひらめきのように速く行き来していた」― エゼキエル 1:12-14,口語。

エホバの戦車

13-15 戦車の輪と輪の動きを述べなさい。

13 ケルブたちだけでなく,彼らが同行した戦車も地上の車には未知の驚くべき仕方で動くことができました。エゼキエルはその戦車の輪をこう描写しました。

14 「わたしが生きものを見ていると,生きもののかたわら,地の上に輪があった。四つの生きものおのおのに,一つずつの輪である。もろもろの輪の形と作りは,光る貴かんらん石のようである。四つのものは同じ形で,その作りは,あたかも,輪の中に輪があるようである。その行く時,彼らは四方のいずれかに行き,行く時は〔向きを変えなかった。その輪のわくは高くて,恐ろしく,その四つの輪のわくの回りには目がいっぱいついていた。〕生きものが行く時には,輪もそのかたわらに行き,生きものが地からあがる時は,輪もあがる。霊の行く所には彼らも行き,輪は彼らに伴ってあがる。生きものの霊が輪の中にあるからである」― エゼキエル 1:15-20,口語,〔旧約聖書 新改訳〕。

15 四車輪の車の場合,車輪は四隅についていますが,この戦車の場合も全く同様です。輪はそれぞれ外見も作りも似ています。それはあまりにも高かったので,エゼキエルはそれに比べて自分が非常に小さく感じたに違いありません。というのは,彼は,「恐ろしく」感じさせられた述べているからです。それほどの円周があるのですから,それらの輪は一回転ごとにたいへんな距離を進むことができたでしょう。

16,17 (イ)この戦車は見当を違えることなくじん速に動けました。どうしてそういえますか。(ロ)その動き方は現代のどんな車とも異なります。どのように異なりますか。(ハ)その推進力は何でしたか。

16 輪はあたかも赴く所どこでも見ることができるかのように,わくの回りには目がいっぱいについていました。それはこの戦車がめくらめっぽうにではなく,目的を持って誤たずに動いたことを示しています。おのおのの輪の中にまた輪がありました。それは大きな輪の中にそれと平行して小さな輪がはいっているというのではありません。それどころか,同じ直径の二つの輪がわくとわくを直角に接して交差していたのです。こうして,その戦車の輪は四方のどの方向にでも即座に赴くことができました。このようなわけで,エゼキエルの描写によれば,この戦車はその勢いをいささかも落とさずに進行方向を変えました。それはまさに驚異でした。

17 戦車の動きにかんする前述の説明は,輪は「四方に向かって行(く)」という陳述と合致します。したがって,それらの輪は全能の神の霊の推進力にしたがい,ケルブたちの場合と全く同様,いずれの方向にも稲妻のように動くことができました。もう一つの注目すべき点として,この戦車はケルブたちの場合と同様,地面に沿って進めるばかりか,神の霊によって空中にのぼることもできました。

18 その戦車の台はエゼキエルの目にどのように映りましたか。

18 それらの輪は高いものでしたが,さらにその上に,目に見えないものでささえられた,台のような形をした戦車の床がありました。エゼキエルはそれをこう描写しています。「生きものの頭の上には,澄んだ水晶のように輝く大空のようなものがあり,彼らの頭の上のほうへ広がっていた。」(エゼキエル 1:22,新改)その大空のようなものは固いとはいえ,氷のように透明でした。それは,台の上方に乗って,戦車の動きを指揮しておられるかたの威厳にふさわしく,畏怖の念を起こさせるものでした。

戦いを暗示する音

19-21 (イ)ケルブたちにかんしてエゼキエルは次に何を見ましたか。(ロ)ケルブたちの翼の出す音は武装を整えた陣営から響く,恐れをいだかせる音を思わせるものでした。なぜですか。

19 四つの生きものは四つの輪ほど巨大なものではありませんから,その台は生きものの頭のはるか上方にありました。エゼキエルはこう述べます。

20 「大空の下にはまっすぐに伸ばした翼があり,たがいに相連なり,生きものはおのおの二つの翼をもって,からだをおおっている。その行く時,わたしは大小の声,全能者の声のような翼の声を聞いた。その声の響きは大軍の声のようで,そのとどまる時は翼をたれる」― エゼキエル 1:23,24,口語。

21 ケルブたちの翼が動くと,激動する大水のそれにも似た,恐れをいだかせずにはおかない音が生じました。エホバの戦車は平和の使命ではなく,戦いの使命をもつものだったからです。その音は武装した兵士たちの陣営から響く音でした。軍隊が戦闘準備をするさい,兵士たちが興奮して大声で話したり叫んだりする声や,戦いの道具がぶつかり合って生ずる激しい物音を耳にした昔の人びとは,戦いが迫っていることをはっきりと知りました。

22 (イ)その戦車は戦いの使命を帯びてはいましたが,エゼキエルにはどのようなものとして示されましたか。(ロ)この幻で描かれているエホバはキリスト教世界の神とどのように比べられますか。

22 しかしながら,エゼキエルの見た光景は,当の預言者にとって恭しい健全な恐れの念をいだかせるものではあっても,敵意が表わされている光景ではありませんでした。神はおのおののケルブをして愛を表わす顔(つまり人間の顔)をエゼキエルの方に向けさせました。それゆえに,忠実な預言者エゼキエルにとっては,その幻は平和を示すもの,比類のない神の主要な属性を啓示するものでした。それは,エホバが全能の力を自由に,しかも知恵をもって行使する公正の神であり,愛のうちにご自身をその真の崇拝者に啓示されるかたであることを明らかにしました。真の神はこのような麗しい性質を持っておられるのですから,そのかたは,キリスト教世界の諸教会が教会員に信じ込ませようとしている,地獄の火の永却の責め苦を加えるような恐ろしい神では決してありませんし,三つの頭を持つ奇怪な三位一体の神でもありません。

23 エホバはご自分をわたしたちに理解させるよう,どのように助けておられますか。

23 エホバの栄光は他のあらゆる神々のそれよりもはるかに偉大であり,その知恵と力と栄光は人知では理解し尽くすことはできません。しかし神はご自身とその特質を人間に理解できる表現をもって啓示することにより,ご自分のしもべたちの限界を克服しておられます。―ロマ 11:33-36。コリント前 2:9-13,16。

24 エゼキエルの見た戦車は比較的に簡単なものとはいえ,畏怖の念をいだかせるものでした。ではなぜエホバはこのような描画的な表象をお用いになるのですか。

24 したがって,エゼキエルの幻に出てくる事がらは,エゼキエルの見たとおりの形で文字どおりに存在すると考えるべきではありません。それは象徴的なものでした。今日,科学者は理解しやすい図形やさし絵を用いて,原子その他の超顕微鏡的なものの属性や運動を説明します。同様に,最高の科学者であられるエホバは比較的簡単な影像を通してご自分の原理や行動を啓示されます。それにしても,こうした幻の中で動く影像でさえ,人間の用いるさし絵のたぐいよりもはるかに壮大で,胸の躍るような美しいものです。

25 エホバのりっぱな特質を正しく評価するには何をしなければなりませんか。

25 そうです,エホバの真理のみことば聖書を研究して,ご自分の民に対するエホバの行動,その敵に対してさえ示される寛容,また従順な人類に永遠の命を与えるとのその目的を調べると,エホバのすぐれた属性を正しく評価できるようになります。

26 今後の研究に何を期待できますか。

26 それにしても,厳密に言って,この戦車の使命は何でしたか。その戦車に乗っておられるかたを描写した幻から何を学べますか。前述のエホバの特質をさらに取り上げて述べているエゼキエルの預言を論じた今後の連載記事をご期待ください。それらをお読みになれば,エホバが他のあらゆる神々よりも卓越したかたであるということのいっそう偉大な啓示をお調べになれるでしょう。

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