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  • 魂を得るに至る信仰を行いにあらわす
  • エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
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  • ブラジル
エホバの王国を告げ知らせるものみの塔 1963
塔63 5/1 281–284ページ

魂を得るに至る信仰を行いにあらわす

ブラジル

遠くにいる親類や友人に手紙を書くことにはしばしばよい報いがあります。バヒア州に住むひとりの証者は,リオデジャネイロの肉親の妹に手紙を書いて,エホバの証者とその活動について知らせました。そして別の手紙を証者たちに出して,妹を訪ねてくれるように頼みました。その妹さんを訪問した伝道者は次のように書いてきました。「最初に訪問したときその婦人は,すでに用意を整えて,勉強がしたくてたまらないという様子でした。バヒアの姉妹からの手紙で,聖書に対する興味を刺激され,私が来るのを待ちかまえていたのです。早速研究が始まりました。勉強がつづくにつれ,ご主人がその婦人にものすごい迫害を加えはじめました。そして暴力に訴えてまで聖書研究をやめさせようとしましたが,彼女はつづけました。そして4ヵ月後には,野外奉仕を行なっていました。彼女のクリスチャンにふさわしい忍耐は,多くの実を結びました。夫は以前より寛容になり,いまでは証者たちに対して友好的になりました。勉強を始めてから1年後に,その人は浸礼によって献身を表わし,いまでは自分自身はかの人と聖書を研究しており,宣教学校では割当てを果たし,新しい世の交わりを満喫しています。二,三の手紙を書いたばかりに,なんというすばらしい報いがその人の肉親の姉妹に与えられたのでしょう!」。

アマゾン地方はアマパのある夫妻が,治療のためにベレムへ行ったとき,ひとりの開拓者の姉妹に会いました。夫妻は,世の終りとか新しい世について多くの新しいことを聞いて大いに喜び,雑誌を予約し,2,3回集会に出席しました。そして,だれかぜひ訪ねてきて下さいと頼んでおいて,ジャングルの家に帰っていきました。少したって,巡回の僕と二人の宣教者が,トラックで158キロ,それからモーターボートでアマゾンの支流を8時間さかのぼる旅をして,その二人の善意者を訪ねました。翌日はカヌーで近所の人々を訪問することに費やし,夕方の聖書研究には15人の人が出席しました。ある学校教師は,受持ちの生徒たちを通して,特別の訪問者のきたことを両親に知らせ,あす学校に来るようにと彼らを招待しました。つぎの朝,川の両岸から,カヌーがぞくぞくやってくるのがみえました。授業は一時中止され,51人の人が,聖書の説明を熱心に聞き,3時間にわたる集会で多くの質問と答えがやりとりされました。人々は,こんなにも多くのよい事柄を聖書から説明してもらったことはいままでになかったのです。彼らは,近いうちにぜひまた来て下さいと頼みました。そこから宣教者たちは,モーターボートでさらに4時間旅行して,真理を聞いたことのあるもう一つの家族を訪ねました。これらの謙虚なジャングルの人々にとって,その訪問は大へんうれしい驚きでした! 午後の2時から11時まで,質問がつづき,翌日の朝早くからまた質問を始めました。この時は15人の人たちが集まって霊的な渇きをいやしました。10時までにはそれが30人になり,公開講演が行なわれました。大部分の人が夜までい残り,27人の出席者に対してもう一つの公開講演が行なわれて,11時に終りました。聞きあきるとか,無関心とか,感情を害するとか,がっかりした様子はさらになく,人々は証者がふみとどまって,一緒に勉強することを望みました。真理に対する人々の飢えが満たされたのを見るのは全く心のおどる思いでした。彼らを訪問するには多くの不便があり,骨の折れることでしたが,それだけの価値は十分にありました。

パラグアイ

人口: 1,660,000人

最高伝道者: 419人

比率: 3,938人に1人

過去12ヵ月間,パラグアイではすばらしい証言が行なわれ,御国の音信は新しい区域に広く宣べ伝えられました。これはみなエホバの御力によります。そして,兄弟たちは,コリント後書 9章10節の使徒パウロの次の言葉をいつも心に留めています。「種まく人に種と食べるためのパンとを備えて下さるかたは,あなたがたにも種を備え,それをふやし,そしてあなたがたの義の実を増して下さるのである」。真の認識を示し,いま行なわれている霊的な種まきと刈り入れのわざの増大に努力をかたむけている人々は,パラグアイの野外で多くのよい経験を楽しんでいます。支部の僕はその経験のいくつかをつぎのように報告しています。

もっと多くの人が開拓者になるようにとの協会のすすめに積極的に応じたために,アスンシヨン会衆にはよい結果が生じました。「デスペルタッド!」(目ざめよ!)の特別注文が行なわれました。いつもの数の3倍です。40人の伝道者のある会衆は,巡回の僕の訪問を機に,10人が休暇開拓をする目標を立てました。はたして25パーセントがそれに応ずるでしょうか。ところが応じたのはそれ以上でした。計12人がその月に休暇開拓を楽しみ,平均121冊の雑誌を配布しました。ある家族は,家事が多すぎるので,家族全部が休暇開拓をしたくてもできないと考えていたので,宣教者の家のようなぐあいにしたらどうかという提案が出ました。その土地の宣教者から兄弟は料理を習い,家族全員が当番で料理をするようにして,その月に家族全部が開拓奉仕に参加しました。この熱意の結果何千という雑誌が配布され,50の新しい聖書研究が始まりました。まったくのところ,楽観的であることと,前もって準備することは,よい結果を生み出します。

私たちは,広大なチャコ地域に,良いたよりを浸透させ得たことを報告するのを喜びとします。家畜と,インディアンと,わずかの丈夫なパラグアイ人の労働者と兵隊の住むこのだだっぴろいかん木地帯は,現在にいたるまで御国の音信に接したことがないといっていいくらいでした。その恐れられている地方のある行商人が,アスンシヨンに仕入れに来たとき,ある姉妹の宣教者の司会する聖書研究に偶然出席したのが事の始まりです。彼の受けたプロテスタントの訓練は,その宣教者の用いた聖句や教える方法に対抗することができず,彼はエホバの証者と他のすべての宗教団体の間にほんとうに違いがあることを悟りました。熱意に燃えた彼は,多数の本をたずさえてチャコに帰り,ロバに車をひかせて商売に回る時,恐れなくその本を配布しました。チャコの数少ない遠い所にある郵便局の一つにくるたびに ― だいたい3ヵ月毎に ― 彼は,いろいろな経験を書き送り,文書を注文しました。おどしや,むずかしい生活環境にもこの善意者は少しもひるみません。そして正規の御国伝道者として報告したいという希望を告げてきました。献身と浸礼にも関心をもっています。ですから,支部の大きなパラグアイの地図の上に留めてある黄色いピンは,現在チャコで御国活動が行なわれていることを示しています。そのさばくが,霊的に「よろこびてさふらんの花のごとくに咲きかがや」かないとだれが言えるでしょうか。

一組の特別開拓者夫妻が,彼らの区域に行ってから間もなくのこと,土地のスペイン人の司祭は,彼の牧場の中で草を食べていた2匹の「いなご」の不愉快な影響を感じはじめました。そこで,おどしをかけるために,ひとりの善意者をしばらくの間留置させました。特別開拓者たちは活動をつづけましたが,必ずやってくる事のためにも備えをしました。ある日警察署の近くを伝道していたときのこと,兄弟は,例の司祭が警察署に走り込んだのを見ました。それからほんの2,3分のうちに,案の定,司祭と証者は面と向かって立つことになりました。警察署の係官の前で司祭は,非難の言葉をまくし立てましたが,兄弟はけんそんな態度で,適切な聖句をもってそれに応答しました。司祭は,証者が最も古い宗教をもっていること,人々に聖書を教えること,道徳的な面でも町のほまれであることを認めざるを得ませんでした。警察部長はグアラニ語で,兄弟が勇気を出したことに対して喜びの言葉を述べ,戸別訪問をして人々に聖書を教える権利を擁護するその仕方に誇りを感じたと言いました。そして盗みや治安妨害で警察をわずらわす者がエホバの証者であったためしがないと語りました。スペイン語の「目ざめよ!」にのせられた,エホバの証者に対する現代のスペインの異端審問所という記事が,土地の「パイ」すなわち司祭を怒らせたのは明らかです。しかしもはや手おくれでした。証者は,よく準備して,形勢を逆転させたからです。司祭は私が聖書をもって戸別伝道をするのをやめさせるのが目的で反対したのです,と警察部長に話すと,彼は笑って,「司祭はあなたが家にいて何もしないことを望んでいるんでしょう。私にまかせて置いてください。これから先こういうことはないでしょう」と言いました。その時から町の人々は証者のグループと交わるようになり,グループは次第に大きくなって,ほんの2,3ヵ月のうちに会衆が組織され,いまでは11人の伝道者がいます。聖書によると,柔かな言葉は骨をもくだきます。この場合も,エホバの力により頼んで,謙虚に恐れなく反対に面することにより迫害が打ちくだかれたのです。―1963年のエホバの証者の年鑑より

韓国

人口: 24,930,000人

最高伝道者数: 4,416人

比率: 5,645に1人

全世界の勇気ある奉仕者たちに加わって,よいたよりの伝道をするのはなんという喜びでしょう。韓国でもエホバの証者は,昨年この大いなるわざに参加しました。問題の多い状況の下で仕事を押し進めるには勇気がいりましたが,韓国の伝道者たちは,絶えず霊的食物を供給されて,よく働きました。御国宣教学校もまた彼らの助けとなり,170人の兄弟姉妹がそこで訓練を受けました。そのうちの95人は会衆の僕です。兄弟たちは,学んだ事柄を適用することにより,韓国におけるエホバの「羊」を養い,導き,保護し,牧するためのよりよい準備を整えました。一昨年起きた革命のために韓国の情勢は常に不安定ですが,一兄弟は,支部のしもべが報告しているとおり,伝道活動によく注意を払い,多くの興味深い経験をしています。

昨年私たちは,三つの勇気ある奉仕者大会を開きました。5056人という公開講演出席者数の総計は,それまでのどの地域大会あるいは全国大会の出席者数合計よりも多いものでした。3478名の兄弟たちは,土曜日の夜,上なる権威に関する話に注意を集中して聞きました。そしてその話がいかにすばらしく,そしてとりわけ時機にかなったものであるかにみな気づきました。この国の兄弟たちは,上なる権威から多くのものを要求されています。それで,その問題にかんするクリスチャンの真の立場について知ることはほんとによいことです。

いなかの村の人々は,あまりお金を持っていないので,雑誌を配布することはむずかしいことです。やすやすと雑誌の目標数を配布する巡回のしもべが,雑誌の配布できないある特別開拓者を訪問しました。その特別開拓者はこのような手紙を書いてきました。「巡回のしもべは,物々交換で容易に雑誌を配布したので,私もやってみました。驚いたことに私は,以前より多くの雑誌を配布しはじめ,同時に,どうせ買わねばならない,日常生活に必要な品物をたくさん手に入れるようになりました。いまは,伝道に大きな袋を持っていきます。ある日など,あまりたくさんの米と交換して,家に持ち帰えれないほどでした」。その巡回のしもべは,はみがき粉からお米に至るまで50以上の品物と交換します。

バプテスマを受ける前でも,聖書の原則を応用することには報いがあります。ひとりの姉妹は,1部の雑誌をある婦人に配布し,3日後再訪問をして聖書の勉強をはじめました。ふたりは3ヵ月間定期的に研究しました。その婦人は集会に出席しはじめました。6ヵ月間の研究ののちその人は伝道を始め,かんたんな聖書の話をおぼえて,1ヵ月に20時間から30時間伝道し,目標以上の雑誌を配布しています。この善意者は,まだバプテスマを受けていませんが,自分の子供たちと定期的に研究し始めました。伝道者は,研究が終わったあとも,クリスチャンの振舞について,伝道活動について,ほかの組織にかんする事柄について,信仰を持たない時々反対する夫への態度についてよく説明しました。この善意者は,聖書のよい助言に従いました。家の中を前よりもきちんと,こぎれいに,清潔にし,夫に対してはよく気をきかして仕えました。結果は? 夫も聖書に関心をもつようになって,勉強をはじめ,いまでは家族全員が真理にはいっています。夫への服従とクリスチャンの振舞いについての,婦人に対するペテロの助言はそのまま適用されたのです。―ペテロ前 3:1,2。

区域のすみからすみまで伝道することも大切なことです。ある姉妹の経験がそのことを証明しています。「私は休暇開拓者だったとき,区域を得て,一つ一つ伝道していきました。だれも興味を示しません。ある日私はすっかりめいってしまって,最後の二,三軒を残したまま,『どうせそこにも「羊」はいやしないんだから』と考えて帰ってしまいました。しかし,その二,三軒をすませずに地図を雑誌区域のしもべに戻すことを良心がどうしても許さないので,私はまた行きました。私の良心は正しい導きでした。というのはそこで,『迷える羊』,私たちの会衆の区域に移転してきた不活発な伝道者を発見したからです。まっさきにその人が望んだのは,『神を真とすべし』の勉強をやりなおすことでした。そしてすぐに会衆と交わりを始めて生きかえりました。私はその最後の二,三軒を,ついに残さずに伝道したことを,ほんとうにうれしく思っています」。

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