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  • 義と宣する
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 「大患難」を生き残る「大群衆」はまだ,命のために ― すなわち,地上で永遠の命を得る権利を受けるにふさわしい者として ― 義と宣せられてはいません。それらの人々は子羊であられるキリスト・イエスに導かれながら,引き続き「命の水の泉」の水を飲まなければなりません。また,キリストの千年統治の期間中もそうする必要があります。(啓 7:17; 22:1,2)それらの人々が千年の終わりの最後の試みの時にもエホバに忠節を示すなら,彼らの名は神の命の書に永久にとどめられます。このようにして,エホバは彼らが最終的に完全な意味で義にかなっていることを宣言して,もしくは認めてくださるのです。―啓 20:7,8。「命」(命の木)を参照。

  • 大群衆
    聖書に対する洞察,第2巻
    • その実体を明らかにする 「大群衆」の実体を明らかにするかぎは,啓示 7章と,いかにもそれに類似した幾つかの記述に出て来る彼らの描写の中にあります。啓示 7章15-17節は,神が「彼らの上にご自分の天幕を広げられる」こと,彼らが「命の水の泉」に導かれること,また神が「彼らの目からすべての涙」をぬぐい去ってくださることを述べています。啓示 21章2-4節には,『神の天幕が人と共にある』,『彼らの目からすべての涙をぬぐい去ってくださる』,『もはや死はない』というような類似した表現が出て来ます。ここに登場する幻は,『新しいエルサレムの下って来る』源つまり天ではなく,地上にいる人々,人類の中にいる人々に関するものです。

  • 大群衆
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 子羊が「命の水の泉」に彼らを導くことに関しては,啓示 22章17節に類似した表現があります。そこにはこうあります。「霊と花嫁は,『来なさい!』と言いつづける。そして,だれでも聞く者は,『来なさい!』と言いなさい。そして,だれでも渇いている者は来なさい。だれでも望む者は命の水を価なくして受けなさい」。聖書の中で,「花嫁」の実体は,天の花婿キリスト・イエスと婚約している,油そそがれたクリスチャン会衆であることが明らかにされています。(エフェ 5:25-27; コリ二 11:2; 啓 19:7-9; 21:9-11)天の「花嫁」級が行なっている,「命の水を価なくして受けなさい」という招待は,不特定多数の人々,つまり「だれでも望む者」に差し伸べられていることは明らかです。同様に,「大群衆」も数が明らかにされていないので,啓示 7章9節の幻は啓示 22章17節の幻と調和します。

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