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雲聖書に対する洞察,第1巻
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記録によれば,イエスは天に昇られた時,『雲に取り上げられて彼らから見えなくなりました』。(使徒 1:9)弟子たちはイエスが雲に乗って去って行くのを見たのではありません。むしろ,雲のためにイエスは弟子たちから見えなくされたのです。このことは,イエスがご自分の臨在に関して言われた,「彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,雲のうちにあって来るのを見るでしょう」という言葉や,「啓示」の書の,「彼は雲と共に来る。そして,すべての目は彼を見るであろう」という記述を理解する助けとなります。(ルカ 21:27; マタ 24:30; 啓 1:7)過去の幾つかの例では,雲は目に見えない臨在を表わしましたが,観察者たちは知性の「目」でその真意をいわば「見る」ことができました。この例では,目に見える具体的な出来事が起きることによって,見ている人々はキリストが目に見えない仕方で臨在していることを「見る」,つまりそれに気づくことになります。―マタ 24章; マル 13章; 啓 14:14も参照。
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目聖書に対する洞察,第2巻
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同様に,イエスが「世はもはやわたしを見ないでしょう」と言われたことを考えると(ヨハ 14:19),「すべての目は彼[イエス・キリスト]を見るであろう」という啓示 1章7節の言葉もやはり文字通りの目について述べたものではなく,むしろイエスが敵を滅ぼすために進まれる時,文字通りの目で見ることのできるその証拠がそれを見る人間の思いに及ぼす影響について述べたものに違いありません。しかし,聖書は,神がキリストと共に天的な命にお召しになった人々が文字通り神を見ることをはっきりと示しています。彼らはそのために天の霊的な体に復活することが必要です。―ペテ一 1:4; コリ一 15:50-54。ペテ一 3:18と比較。
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