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交わり,仲間聖書に対する洞察,第2巻
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真のクリスチャンの一致した集合体は,小規模な群れ,会衆,または物理的に孤立した個々の人々から成っているものの,実際にはアデルフォテースというギリシャ語の言葉によって表わされる「仲間の兄弟」または兄弟関係を構成しています。(ペテ一 2:17; 5:9)真のクリスチャンはその兄弟関係の一部としてとどまるために,だれであれその中から出て,分裂をもたらす偽りの教えの推進者となる人々との交わりを一切避けます。(ロマ 16:17,18)クリスチャンの使徒ヨハネは,そのような偽教師を家に迎え入れたり,そういう人にあいさつをしたりするようなことが絶対ないようにと仲間の信者たちに指示しました。もしそのようなことをすれば,偽教師は自分のゆがんだ腐敗的な教理を提示するきっかけを得ることになったからです。そのような人にあいさつをすれば,ある程度の是認を示すことになり,「その邪悪な業」にあずかることになったでしょう。(ヨハ二 10,11)パウロは,死からの復活の確かさに関する圧倒的な証拠があるにもかかわらず,このキリスト教の教えを退けた人との交わりが信仰に破壊的な影響を及ぼすことを知っていました。「惑わされてはなりません。悪い交わりは有益な習慣を損なうのです」とパウロが書いたのはそのためです。―コリ一 15:12-22,33。「背教」を参照。
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もてなし聖書に対する洞察,第2巻
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もてなしてはならない時 聖書はクリスチャンに対して,もてなすべきではない者がいることを教えています。「先走って,キリストの教えにとどまらない者は,だれも神を持っていません。……この教えを携えないであなた方のところにやって来る人がいれば,決して家に迎え入れてはなりませんし,あいさつのことばをかけてもなりません。その人にあいさつのことばをかける者は,その邪悪な業にあずかることになるからです」。(ヨハ二 9-11)そのような人を家の中に引き止めておいたり,親しく交わったりするなら,自分自身の霊性を危うくすることになり,事実上,その人の歩みを大目に見ていることになります。また,他の人々に間違った印象を与え,会衆に非難をもたらすことになります。この原則は,ローマ 16章17,18節,マタイ 7章15節,コリント第一 5章11-13節にも述べられています。
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