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    聖書に対する洞察,第2巻
    • 新しい契約の発効 イエスは死んで復活させられた後,天に入って神ご自身の前に出,ご自分の捧げ物を差し出されました。その捧げ物の益は最初に,新しい契約に入れられた人たちに及びます。(ヘブ 9:24)この場合,イエスは大祭司と仲介者の両方の役を演じられました。律法契約が発効した時の型と調和して,イエス・キリストはご自分の犠牲の価値を天の神のみ前で差し出されました(ちょうどモーセが[神は直接そこにおられたわけではないので]律法の書に血を振り掛けたのと同様)。その後,西暦33年のペンテコステの日に,イエスは神からの聖霊を新しい契約に導き入れられた最初の人たち,約120人の上に注ぎ出されました。その同じ日の後刻,およそ3,000人のユダヤ人と改宗者たちが会衆に加えられました。(使徒 1:15; 2:1-47; ヘブ 9:19)そして,モーセが民に律法を読み聞かせたように,イエス・キリストもその契約にあずかる人たちに対して新しい契約の条項とその律法を明確に述べておられます。―出 24:3-8; ヘブ 1:1,2; ヨハ 13:34; 15:14; ヨハ一 5:1-3。

  • 至聖所
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 象徴的な用法 会見の天幕すなわち幕屋の中にあった至聖所の仕切り室には,契約の箱が置かれていました。二つの金のケルブが載ったその契約の箱の覆いは,神のみ座を表わしていました。したがって,至聖所はエホバ神の住みかである天そのものを比喩的に表わすために用いられました。霊感の下に記されたヘブライ人への手紙は,次のような比較によってこの点の理解を与えてくれます。つまり,イスラエルの大祭司が年に1日,贖罪の日に至聖所に入ったことは,偉大なる大祭司イエス・キリストが罪のためのご自分の犠牲を携えてただ1度かぎり,至聖所の象徴していたところへ入ることと比較されるのです。その説明は次のとおりです。「第二の仕切り室[至聖所]の中へは,大祭司だけが年に一度入りますが,血を携えないで行くことはありません。彼はそれを自分自身のため,そして民の無知の罪のためにささげるのです。……この天幕こそ,今すでに来ている定められた時のための例えであり,……しかし,キリストは,すでに実現した良い事柄の大祭司として来た時,手で造ったのではない,すなわち,この創造界のものではない,より偉大で,より完全な天幕を通り,そうです,やぎや若い雄牛の血ではなく,ご自身の血を携え,ただ一度かぎり聖なる場所に入り,わたしたちのために永遠の救出を得てくださったのです。それゆえ,天にあるものを模型的に表現したものはこのような手段[それらに振り掛けられた動物の犠牲の血]で清められ,天のものそれ自体は,そのような犠牲より勝った犠牲をもって清められることが必要でした。キリストは,実体の写しである,手で造った聖なる場所にではなく,天そのものに入られたのであり,今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです」― ヘブ 9:7-12,23,24。

      したがって,メルキゼデクのさまにしたがう偉大な大祭司イエス・キリストは,アロンの家系のイスラエルの大祭司が地上の至聖所に入って単に予型的に行なった事柄を成就されました。(ヘブ 9:24)キリストの霊的な兄弟たち,すなわちキリストの共同の相続人たちは,同じヘブライ人への手紙の次の言葉によって強められます。「避難所に逃れて来たわたしたちが,自分の前に置かれた希望をとらえるための強い励みを持つためでした。この希望を,わたしたちは魂の錨,確かで,揺るがぬものとして抱いており,それは垂れ幕の内側に入るのです。そこへは前駆者がわたしたちのために入られました。それはイエス,メルキゼデクのさまにしたがい永久に大祭司となられた方です」― ヘブ 6:18-20。

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