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大祭司聖書に対する洞察,第2巻
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キリストは,アロンの肉的な血統から祭司職を得たわけではなく,また自分の職務に関して前任者も後継者も持っていないとはいえ,それでもアロンの家系の大祭司によって予示されていた事柄は成就しておられます。使徒パウロはその点を完全に明らかにし,荒野で建てられた天幕のような幕屋は「人間ではなくエホバの立てた真の天幕」のひな型だったこと,またレビ族の祭司たちは「天にあるものの模型的な表現また影として神聖な奉仕」をささげていたことを示しています。(ヘブ 8:1-6; 9:11)同使徒の述べるところによると,イエス・キリストは動物の犠牲ではなく,ご自分の完全な体をささげ,動物の犠牲の有効性や必要性を除き去られました。次いでイエスは「もろもろの天を通(り)」,「やぎや若い雄牛の血ではなく,ご自身の血を携え,ただ一度かぎり聖なる場所に入り,わたしたちのために永遠の救出を得てくださ(いました)」。(ヘブ 4:14; 9:12; 10:5,6,9)イエスは,アロンが入った至聖所によって予示されていた聖なる場所,すなわち「天そのものに入られたのであり,今やわたしたちのために神ご自身の前に出てくださるのです」。―ヘブ 9:24。
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聖なる場所聖書に対する洞察,第2巻
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象徴的な意味 イエス・キリストの犠牲を通して人間の贖罪を行なうために神が定められた取り決めは,「手で造ったのではない,……より偉大で,より完全な天幕」と呼ばれています。キリストはこの偉大な霊的神殿の『聖なる場所にただ一度かぎり』入り,「わたしたちのために永遠の救出を得てくださった」と使徒パウロは書いています。(ヘブ 9:11,12)天に入ってエホバのみ前に出たキリストは,幕屋の一番奥の仕切り室,つまり至聖所によって表わされていたところに入りました。(ヘブ 9:24,25)このように,幕屋とそこでの奉仕は「天にあるものの模型的な表現また影」となりました。―ヘブ 8:5。
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