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乳聖書に対する洞察,第2巻
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乳は成熟に向けて身体の成長を促すので,キリスト教の基礎的な教理は霊的な赤子が飲む「乳」になぞらえられており,そのような乳はより深い霊的な真理である「固い食物」を吸収できるようになるまで彼らを強めて成長させます。(コリ一 3:2; ヘブ 5:12-14)使徒ペテロはクリスチャンに語りかけて,『生まれたばかりの幼児のように,み言葉に属する,何も混ぜ物のない乳を慕う気持ちを培いなさい』と述べています。その目的は何でしょうか。それは,彼らが成長しつづけて,単に円熟だけではなく,「救いに」至る,つまり自分の召しと選びを自ら確実にすることです。(ペテ一 2:2; ペテ二 1:10)イザヤ 55章1節で,神は成長を促すこの霊的な「乳」を買うよう霊的に渇いている者たちに呼びかけておられますが,彼らは神の過分のご親切によって,「金も払わずに,代価も払わずに」その乳を手に入れることができます。
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神聖な宣言聖書に対する洞察,第1巻
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神聖な宣言
(しんせいなせんげん)(Sacred Pronouncements)
この表現はクリスチャン・ギリシャ語聖書中に4回だけ出ており,ロゴス(言葉)の指小辞形であるロギオン(「小さい言葉」の意)というギリシャ語を翻訳したものです。もともとロギオンは短い神聖なことばを意味するだけでしたが,やがて神からの情報,つまり神託を指すようになりました。幾つかの英訳聖書はロギオンを単に『神託』と訳しています。(ア標,欽定,改標)ウエストの翻訳は,使徒 7章38節とローマ 3章2節で「神のお告げ」という訳語を用いています。
ステファノは,シナイ山でモーセに与えられた律法のことを「生ける神聖な宣言」と述べました。(使徒 7:38)使徒パウロはヘブライ語聖書全体に言及し,またその時までに書かれていた霊感を受けたクリスチャン聖書すべてにも恐らく言及して,次のように述べています。「では,ユダヤ人の勝ったところは何ですか。また,割礼の益は何ですか。あらゆる点で非常に多くあります。まず第一に,彼らが神の神聖な宣言を託されたことです」。(ロマ 3:1,2)ですから,霊感を受けたこの聖書全体の記述はユダヤ人にゆだねられ,彼らは「聖霊に導かれつつ」書きました。―ペテ二 1:20,21。
使徒パウロはヘブライ人への手紙の中で,主イエス・キリストやその使徒たち,また霊感を受けた他のクリスチャンの筆者たちが人間に伝えた教えを「神聖な宣言」の中に含めています。(ヘブ 5:12。ヘブ 6:1,2と比較。)ペテロもペテロ第一 4章11節で,「語る者は,神の神聖な宣言を告げるかのように語りなさい」とキリストの追随者たちに語った際,そうした広い範囲を示しました。ペテロはまた,使徒パウロの書いたものを「聖書の残りの部分」と同等の権威を持つものとして類別しています。―ペテ二 3:15,16。
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教える者,教師,教える聖書に対する洞察,第1巻
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クリスチャンが皆,教える者であるべき理由 会衆の中で教える者として仕えたのは比較的少数の人たちでしたが,すべてのクリスチャンの望ましい目標は,自分の信じている事柄を他の人々に教える,少なくとも個人的に教える能力を身に着けることでした。この点がヘブライ人のクリスチャンに対して次のように明示されました。「あなた方は,時間の点から見れば教える者となっているべきなのに,神の神聖な宣言の基礎的な事柄を,もう一度だれかに初めから教えてもらうことが必要です」。ユダヤ人はキリストに関する良いたよりを最初に受け入れた人たちでしたから,実際,霊的なみどりごではなく,クリスチャンとしての円熟と他の人々を教える能力の点で模範となっているべきでした。(ヘブ 5:12–6:2)したがって,霊感を受けた筆者はここで,任命された者としての教える業ではなく,一般的な意味での教える業について語っているようです。ですから,自分の知識に基づいて,「道理をわきまえない者の矯正者,みどりごの教え手」となるユダヤ人に言及している,同じ筆者の言葉も,多少これと類似しています。(ロマ 2:17-20)しかしパウロは,そのように教える場合でも,その教えを神に誉れをもたらすものにしたいのであれば,教える事柄と教える人の生活の仕方とが調和していなければならないことを示しています。―ロマ 2:21-24。
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世,世界聖書に対する洞察,第2巻
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パウロの用いたギリシャ語のストイケイアという言葉[ストイケイオンの複数形]について,「説教用注解書」(『ガラテア書』,181ページ)はこう述べています。「この語[ストイケイア]は『一列に並べられた杭』というその第一義から転じて,……幾つかの列に並べられたアルファベットに適用され,そこから話のおもな構成要素に,さらには,例えば四つの『要素』(ペテ二 3:10,12を参照)のような,自然界のあらゆる事物のおもな構成要素や,何らかの知識の分野の『根本』もしくは第一の『要素』に適用された。この語はこの最後の意味でヘブライ 5章12節に出て来る」。(C・スペンス編,ロンドン,1885年)関連のある動詞ストイケオーには「整然と歩む」という意味があります。―ガラ 6:16。
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