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誉れ,敬う,尊ぶ聖書に対する洞察,第2巻
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敬われるべき他の人たち エホバ神とみ子は最大の誉れを受けるに値しますが,ほかにも誉れに値する人間同士の関係があります。子供は従順であることによって親を敬わなければなりません。(申 5:16; エフェ 6:1,2)大人になっている人たちも,自分の親が困窮するような場合,進んでその事態に対応して物質面で援助することにより,親に敬意を示すことができます。(マタ 15:4-6; テモ一 5:3,4)夫は愛のこもった品位ある接し方で妻を尊ぶ一方,妻は夫に服して深い敬意を示すなら,夫を敬うことになります。(ペテ一 3:1-7)教えることに骨折っている長老たちには「二倍の誉れ」を与えなければなりませんでしたし,それには物質面で援助することも含まれていたと思われます。(テモ一 5:17,18)クリスチャンの奴隷たちは,自分に割り当てられた仕事を謹んで果たすことにより,自分の主人を敬わなければなりませんでした。(テモ一 6:1,2)支配者や他の権威ある人たちには,その立場のゆえに当然の誉れを与える,すなわち敬意を示すべきです。(ロマ 13:7)どんな人も,身分にはかかわりなく,神の創造物として,誉れを受けるに値します。―ペテ一 2:17。
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公平聖書に対する洞察,第1巻
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「二倍の誉れに値する」― どのように これらのことを考慮する時,クリスチャン会衆の成員はどのように,りっぱに主宰の任を果たしている年長者たち,「とりわけ,話すことや教えることに骨折っている人たちを,二倍の誉れに値するもの」とみなせるでしょうか。(テモ一 5:17)それは,それらの男子の人格特性や能力のゆえではなく,委ねられた特別な責任に対する彼らの勤勉さと熱心な働きのためです。神の取り決めと任命は尊重されなければなりません。神の会衆の仕事を成し遂げるそのような男子には特別な協力と支持が与えられなければなりません。(ヘブ 13:7,17)イエスの異父兄弟ヤコブは,会衆内の教え手が神に対する重い責任を担っており,より重い裁きを受けることを指摘しています。(ヤコ 3:1)ですから,彼らの話を聞き,彼らに従い,彼らを尊ぶのは当然のことです。同様の理由で妻も夫を尊び,敬わなければなりません。夫は家族に対する責任を神から委ねられており,その点に基づいて神から裁かれるからです。(エフェ 5:21-24,33)神の取り決めによって責任ある立場に置かれている男子にそのような敬意を示すのは,不公平なことではありません。
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