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法,律法聖書に対する洞察,第2巻
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律法はイスラエル人に,「祭司の王国,聖なる国民」になる機会を差し伸べました。(出 19:5,6)律法の,エホバに対する全き専心の要求,いかなる信仰合同をも固く禁じる命令,宗教上の清さや食物に関する規定などは,この国民を他の諸国民からはっきり分け隔てておくための「壁」となりました。(エフェ 2:14)ユダヤ人にとって,異邦人の天幕つまりその家に入ったり,異邦人と共に食事をしたりしても宗教上汚れない,ということはまず考えられませんでした。実際,イエスが地上におられた当時,異邦人の家,もしくは建物に入ることでさえ,ユダヤ人にとっては身を汚す行為であると考えられていました。(ヨハ 18:28; 使徒 10:28)命の神聖さ,および家族や結婚や個人の尊厳と誉れは守られていました。さらに,律法契約によって成し遂げられた宗教上の分離に伴う影響と考えられるのは,健康上の様々な益やイスラエル人の周囲の諸国民によく見られた疾患から守られたことです。道徳上の清さや身体面での衛生,および食物に関する律法は,イスラエル人がそれらに従順に従った時には確かに有益な影響を及ぼしました。
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和解聖書に対する洞察,第2巻
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ユダヤ人は神の契約の民,神の「特別な所有物」(出 19:5,6; 王一 8:53; 詩 135:4)として,すでに神との和解をある程度享受しました。ただし,予告されていた請け戻す方であるメシアを通して,十分な和解を得ることがまだ必要でした。(イザ 53:5-7,11,12; ダニ 9:24-26)一方,非ユダヤ人の諸国民は,「イスラエルの国家から疎外され,約束にかかわる数々の契約に対してはよそ者であり,希望もなく,世にあって神を持たない者」でした。彼らは神のみ前における認められた立場を得ていなかったからです。(エフェ 2:11,12)しかし,胤に関する神聖な奥義に調和して,神は「地のすべての国の民」の人々に祝福をもたらすことを意図されました。(創 22:15-18)ですから,そうするための手段,つまりキリスト・イエスの犠牲は,疎外されていた非ユダヤ人の諸国民が「キリストの血によって近い者とな(る)」ための道を開きました。(エフェ 2:13)その犠牲はそれだけでなく,ユダヤ人と非ユダヤ人の間の隔壁をも取り除きました。イエスの犠牲は律法契約を成就して取り除き,それによってキリストが「両方の民を一つの体とし,苦しみの杭を通して神と十分に和解させる」ことが可能になったのです。「彼は自分自身によってその敵意[律法契約によって生じた隔壁]を抹殺したからです」。ユダヤ人と非ユダヤ人は今やキリスト・イエスを通して神に近づく一つの方法を持つことになり,非ユダヤ人は時たつうちに,キリストと共なる王国の相続人として新しい契約に入れられました。―エフェ 2:14-22; ロマ 8:16,17; ヘブ 9:15。
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神殿聖書に対する洞察,第1巻
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人が主要な建物,つまり聖なる所そのものの所へ行く時には,幾つかの中庭を通りました。中庭は順を追って一つずつ神聖さの度合いが高くなってゆきました。“異邦人の中庭”を通ると,通り抜けるための開口部のある,高さ3キュビト(1.3㍍)の壁の前に出ます。その壁の上にはギリシャ語とラテン語の警告文を刻んだ大きな石が置かれていました。そのギリシャ語の碑文には(ある翻訳によれば),「異国の者は聖域の周囲の柵と垣の内側に入ってはならない。見つけられた者は責任を問われ,死をもって罰せられる」と記されていました。(新ウェストミンスター聖書辞典,H・ゲーマン編,1970年,932ページ)使徒パウロはある時,神殿で暴徒に襲われましたが,それはパウロが異邦人を禁制域に入らせた,といううわさをユダヤ人が流したためでした。わたしたちはキリストがユダヤ人を異邦人から隔てていた『壁を取り壊して』くださったと書かれている箇所を読む時,この壁のことを思い起こします。もっとも,パウロは「壁」という語を象徴的な意味で使っていました。―エフェ 2:14,脚注; 使徒 21:20-32。
これ以上近づかないよう異邦人に警告する,エルサレムの神殿の中庭の壁(ソーレグ)から出土した告知文
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壁,城壁,へい聖書に対する洞察,第1巻
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象徴的な壁 聖書の中で,壁は時々保護や安全を表わすものとして(サム一 25:16; 箴 18:11; 25:28),あるいは分離の象徴として(創 49:22; エゼ 13:10),比喩的な仕方で言及されています。この後者の意味で,パウロはエフェソス人に,「キリストはわたしたちの平和であり,二者を一つにし,その間にあって隔てていた壁を取り壊した方なのです」と書き送りました。(エフェ 2:14)パウロはエルサレムの神殿の中庭にあった中間の壁をよく知っていました。それには,ユダヤ人以外の者がその壁を越えるなら死の処罰を受けるという趣旨の警告が標示されていました。しかしパウロは,西暦60年か61年にエフェソス人に手紙を書き送ったとき,比喩的な仕方でその壁に言及したものの,現実にその文字通りの壁が廃されたと言ったわけではありません。その壁は依然として立っていたからです。むしろ使徒は,幾世紀にもわたってユダヤ人と異邦人の間の隔ての壁として作用してきた律法契約を念頭に置いていました。象徴的なその「壁」はほとんど30年前に,キリストの死に基づいて廃されました。
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