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  • 使徒
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 「使徒」という語の広い適用の仕方を正しく理解しているなら,同じ状況を取り上げている使徒 9章26,27節とガラテア 1章17-19節との表面上の矛盾を解く助けになります。前者の記述によると,エルサレムに着いたパウロはバルナバによって「使徒たちのところに」連れて行かれました。しかし,ガラテア人への手紙の記述の中で,パウロは自分がペテロを訪問したことを述べ,こう付け加えています。「しかしわたしは使徒のうちほかのだれにも会わず,ただ主の兄弟ヤコブに会っただけです」。ヤコブ(最初から使徒であったゼベダイの子のヤコブでも,アルパヨの子のヤコブでもなく,イエスの異父兄弟ヤコブのこと)は,広い意味で「使徒」とみなされたようです。すなわち,エルサレム会衆によって「遣わされた者」という意味で使徒だったのです。であれば,「使徒たちの活動」の記述の中で,パウロは,「使徒たち(すなわち,ペテロとヤコブ)のところに」連れて行かれたと,その称号を複数で用いても何ら不合理な点はありません。―コリ一 15:5-7; ガラ 2:9と比較。

  • 兄弟
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イエスの兄弟たち 四福音書,「使徒たちの活動」の書,およびパウロの手紙二つは,「主の兄弟たち」,「主の兄弟」,「彼の兄弟たち」,「彼の姉妹たち」に言及し,その「兄弟たち」のうちの4人,つまりヤコブ,ヨセフ,シモン,ユダの名を挙げています。(マタ 12:46; 13:55,56; マル 3:31; ルカ 8:19; ヨハ 2:12; 使徒 1:14; コリ一 9:5; ガラ 1:19)大多数の聖書学者は,イエスには少なくとも4人の弟と二人の妹がいたこと,またそのすべては奇跡によるイエスの誕生の後に自然の方法でヨセフとマリアに生まれた子供たちだったことを示す累積証拠を受け入れています。

      これらイエスの兄弟たちはヨセフが以前の結婚によって,もしくは義理の姉妹とのレビレート婚によってもうけた子らであるという専断的な意見は,虚構のたぐいに入れなければなりません。それを確証する事実はなく,聖書にはそのようなことを暗示している箇所さえないからです。ここで言われている「兄弟」(アデルフォス)とは「いとこ」(アネプシオス)のことであるという主張は,単なる理論にすぎません。これを提唱したのはヒエロニムスであるとされており,早くても西暦383年からのものです。ヒエロニムスは自分の新説を裏付けるものを何も挙げていないだけでなく,後の著作の中では自分の意見に気迷いを示しており,自分の「いとこ説」に疑念を表明することさえしています。J・B・ライトフットはこう述べています。「聖ヒエロニムスは自説を弁護するために伝承を引き合いに出すことはしていない。したがって,それを支持する証拠は聖書の中にしかないことになる。わたしは聖書中の証拠を調べてきたが,……数々の問題点が浮かび上がって……その説を支持するこれら二次的論議は全く相殺されてしまい,実際その説を放棄せざるを得ない」―「ガラテア人への聖パウロの書簡」,ロンドン,1874年,258ページ。

      ギリシャ語聖書の中で,おいやいとこのことが記述されている箇所にアデルフォスは用いられていません。むしろ,その関係は「パウロの姉妹の息子」とか,「バルナバのいとこ[アネプシオス]マルコ」というように説明されています。(使徒 23:16; コロ 4:10)ルカ 21章16節には,ギリシャ語のシュンゲノーン(いとこなどの親族たち)という言葉とアデルフォーン(兄弟たち)という言葉が両方出ていることから,ギリシャ語聖書の中でそれらの語が漠然と,あるいは無差別に用いられていたのではないことが分かります。

      イエスの宣教期間中,「実のところ,その兄弟たちは彼に信仰を働かせていなかった」ので,彼らが霊的な意味でのイエスの兄弟でなかったことは確かです。(ヨハ 7:3-5)イエスはこれら肉親の兄弟たちと,ご自分を信じてご自分の霊的な兄弟となっていた弟子たちを対比されました。(マタ 12:46-50; マル 3:31-35; ルカ 8:19-21)そのようにイエスの肉親の兄弟たちには信仰が欠けていたので,彼らをヤコブ,シモン,ユダといった同名の使徒と同一視することはできません。それら肉親の兄弟たちはイエスの弟子たちとはっきり区別されています。―ヨハ 2:12。

  • ヤコブ,II
    聖書に対する洞察,第2巻
    • その後ヤコブはエルサレム会衆の顕著な成員となり,同会衆の「使徒」となったようです。(「使徒」[会衆の使徒職]を参照。)例えば,パウロは最初にエルサレムの兄弟たちを訪れた時(西暦36年ごろ),自分は15日間ペテロと共に過ごしたが,「使徒のうちほかのだれにも会わず,ただ主の兄弟ヤコブに会っただけ」だと述べています。(ガラ 1:18,19)ペテロは奇跡的に獄から解き放たれた後,ヨハネ・マルコの家にいた兄弟たちに,「これらのことをヤコブと兄弟たちに報告してください」と指示し,そのようにしてヤコブが顕著な立場にあったことを示唆しました。(使徒 12:12,17)西暦49年ごろ,割礼をめぐる論争がエルサレムの「使徒や年長者たち」の前に出されました。ペテロ,バルナバ,パウロによる個人的な証言に続いてヤコブが発言し,その集まりで承認され採択された決定を提出しました。(使徒 15:6-29。使徒 16:4と比較。)パウロはその時のことに言及し,ヤコブとケファとヨハネはエルサレムの人たちの中で「柱と思えた」と述べています。(ガラ 2:1-9)パウロはその後に行なった宣教旅行の終わりに,エルサレムでヤコブと『すべての年長者たち』に自分の宣教について報告します。次いで,それらの人たちが,従うべき特定の諭しをパウロに与えます。―使徒 21:15-26。ガラ 2:11-14も参照。

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