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服装聖書に対する洞察,第2巻
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ベール 頭の権に対する女性の服従の象徴に関連して使徒パウロが述べている女性の「頭飾り」,もしくは「ベール」はペリボライオン(ギ語)で,まとうもの,包むもののことです。(コリ一 11:15)それはモーセの顔が輝いてイスラエル人がその顔を見ることができなかった時にモーセが掛けた,顔のベール,もしくは覆いとは異なります。(出 34:33-35; コリ二 3:13)リベカは自分の夫となるイサクに会った時,服従を表わすために頭きんをかぶりました。(創 24:65)ここで用いられているヘブライ語のツァーイーフという言葉は,創世記 38章14,19節では「肩掛け」(新世),もしくは「ベール」(聖ア,改標)と訳されています。
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頭の覆い聖書に対する洞察,第1巻
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頭の覆い
(かしらのおおい)(Head Covering)
頭の覆いは服飾品の一つであるほかに,神の僕たちの間で頭の権と服従に関連した霊的な意義を持っています。使徒パウロは,クリスチャン会衆内で施行される,神の定められた頭の権の原則を説明し,「すべての男の頭はキリストであり,女の頭は男であり,キリストの頭は神です」と述べています。(コリ一 11:3)パウロの指摘するところによれば,頭の覆いは,女が会衆内で祈ったり預言したりする場合,しかるべき神権的な権威に服して,男の頭の権を認める際に身に着けるべき「権威のしるし」です。―コリ一 11:4-6,10。
反対に,男は,祈ったり預言したりする時のように会衆の前で指導の任に当たる際には,頭の覆いを着けるべきではないことを同使徒は示しています。神の取り決めの下では,それが男の正常な立場なのです。それらの場合に男が頭の覆いを着けるなら,自分の頭に恥をもたらすことになるでしょう。それは,男の頭であるイエス・キリストと,至上の頭であられるエホバ神に不敬を示すことにもなります。男は「神の像また栄光」であり,本来,地上で神を代表する者として造られているからです。男は頭の覆いを着けることによってこの事実をあいまいにするべきではありません。男は女に先立って,最初に創造されました。女は「男から」出ており,「男のために」創造されました。男の特質が神の誉れと威光の反映であるように,女の特質は男の誉れと威光の表明です。ゆえに,クリスチャンの婦人は自分の示す慎みと服従によって自分が従属の立場にあることを快く認めると同時に,頭の覆いとしてベールか他の物をかぶることにより,進んでそのことを見える形で表わすべきです。男の地位を横取りしようとすべきではなく,むしろその頭の権を擁護すべきなのです。―コリ一 11:4,7-10。
パウロは,自分が手紙を書き送った会衆の婦人たちの自然な長い髪が,女は生まれながらに男に従うべき立場にあることを絶えず思い起こさせるため,神から与えられたものであることに注意を促しています。それで,女は,クリスチャン会衆内で習慣的に男の務めとされている事柄を行なう際にこのことを認めるべきであり,自分の普段の自然な髪のほかに何らかの頭の覆いをかぶるべきです。女はそれによって,神の定められた頭の権の原則を認めていることを示すと共に,自分の普通の日常活動と,会衆内の特別な務めを果たすこと ― 例えば,資格のある男子の成員がいない場合や,夫もしくは会衆の男子の成員の同席している聖書研究の正式の集まりで他の人々を個人的に教えるような場合 ― とを区別していることを示します。―コリ一 11:11-15。
同使徒は,神の会衆がこの手順に従うべき強力な理由として,「救いを受け継ごうとしている者たちに仕えるために遣わされた」神のみ使いたちのことを指摘しています。(ヘブ 1:13,14)これらの力ある霊者たちは,クリスチャンが神の取り決めの中のあるべき地位にとどまることによって,神権的な秩序と清い崇拝が神のみ前で保たれてゆくことに関心を抱き,心を砕いています。―コリ一 11:10。
古代コリントの会衆がこのような助言を必要としていたことは,女たちが公の場では常にベールをかぶるのが当時の一般的な習慣であったことを知るとき,一層よく理解できます。ベールをしない女と言えばふしだらな者だけでした。また,神殿にいた異教の女祭司たちは,神からの霊感を受けていると主張している時はベールを外し,髪をだらしなく垂らすのを習わしにしていたようです。クリスチャン会衆内にそのような習わしがあるとしたら,それは恥ずべきことであり,頭の権と服従に関するエホバ神の取り決めを侮べつすることになったでしょう。パウロは,自分が述べたのとは異なるどのような習慣を支持する人がいるとしても,会衆は頭の覆いを着けることに関する使徒の助言に従うべきである,と述べて論議を締めくくりました。これにより,その指示はクリスチャン会衆内であらゆる時と場所において適用するものとなっています。―コリ一 11:16。
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頭飾り聖書に対する洞察,第1巻
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頭を覆うものと女性の服従 使徒パウロは,女性がクリスチャンの会衆内で祈ったり預言したりする時には,頭を覆うものを着用すべきであると指示しました。女性はそのようにして,頭の権に関する原則を認めていることを表わしました。その原則によれば,男は女の頭ですが,キリストは男の頭で,さらに神はキリストの頭です。パウロは,女の長い髪が「頭飾りの代わりに」生来女性に与えられたものであると述べています。当時,使徒パウロは,ヨーロッパ人やセム人の間に住んでいたコリントのクリスチャンにあてて手紙を書いていましたが,それら当時の人々の間では髪の長短で男女の相違が自然に示されていました。奴隷の女や,淫行もしくは姦淫の現行犯で捕らえられた人は,頭をそられました。パウロは,女の長い髪が男の頭の権のもとにある女性の立場を示す自然の証拠であることを指摘しました。したがって,女性は服従を思い起こさせるこの自然の備えを見ているので,会衆内で祈ったり預言したりする時には,「権威のしるし」として頭を覆うものを着用することにより,み使いたちを含め,ほかの人たちの前で,頭の権の原則を自ら認めていることをはっきりと示すべきです。(コリ一 11:3-16)デボラ(裁 4:4)やアンナ(ルカ 2:36-38)のような古代の女預言者たちも,預言をする時には,そうすることを習わしにしていたに違いありません。―「髪の毛,毛」を参照。
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