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売春婦,遊女聖書に対する洞察,第2巻
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キリストの霊的な体の肢体であるクリスチャンが遊女と関係を持ったり,淫行を犯したりするなら,その者はキリストから肢体を取り去ってそれを娼婦の肢体とし,自分自身を娼婦と結合させて一体とならせます。それによってその者は,自分の体が「キリストの肢体」であることに関し,自分の体に対して罪をおかしているのです。―コリ一 6:15-18。
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罪聖書に対する洞察,第2巻
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自分の体に対して罪をおかす パウロは淫行(聖書的に認められている結婚関係以外の性関係)を戒めて,「人が犯すほかの罪はすべてその体の外にありますが,淫行を習わしにする人は自分の体に対して罪をおかしているのです」と述べています。(コリ一 6:18。「淫行」を参照。)その文脈の示すところによれば,パウロはクリスチャンが自分たちの主であり頭であるキリスト・イエスと結ばれているべきであることを強調していました。(コリ一 6:13-15)淫行を犯す人は不当にも,また罪深いことに,別の人と一体になります。その別の人は娼婦である場合が少なくありません。(コリ一 6:16-18)このようにクリスチャンの体をキリストと結ばれた状態から引き離して,その体を別の人と「一つ」にし得る罪はほかにはありません。他のすべての罪がここで「体の外」のものとみなされているのは,そのためであろうと思われます。淫行はまた,淫行をおかす人自身の体にいやし得ない害をもたらす場合があります。
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