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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 働き人は自分が働いたことに対する代償,つまり支払いを受ける権利があります。すなわち,自分の報酬を権利,つまり自分に対する債務として期待しており,その支払いは賜物でもなければ,特別な過分の親切でもありません。(ロマ 4:4)しかし,死に定められた罪人が(わたしたちは皆そのような者として生まれている)有罪宣告を受けた状態から解放されて義と宣せられることは,確かに全くの過分のご親切です。(ロマ 3:23,24; 5:17)律法契約の取り決めのもとに生まれた人々は,その契約により罪人であることが暴かれたゆえに,より厳しい死罪を宣告されたというのであれば,ユダヤ人は救いを最初に差し伸べられたという点で一層大きな過分のご親切を施されたことを覚えておくべきでしょう。―ロマ 5:20,21; 1:16。

  • 罪
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 罪の力と報い 「罪の報いは死です」から(ロマ 6:23),人間はすべて,アダムの家系に生まれることにより,「罪と死の律法」のもとに置かれてきました。(ロマ 8:2; コリ一 15:21,22)罪は死と共に人類を「王として支配し」,人類を奴隷にしてきました。人類はアダムによりこの隷従状態に売り渡されているのです。(ロマ 5:17,21; 6:6,17; 7:14; ヨハ 8:34)これらの言葉によれば,罪とは単にある行為を実際にしたこと,またはしなかったことだけでなく,人間のうちに働いている一つの律法,または支配原理,もしくは力,すなわち人間がアダムから受け継いでいる,悪行に走る生来の傾向ともみなされています。したがって,アダムから受け継いだものは,「肉の弱さ」つまり不完全さを生み出してきたのです。(ロマ 6:19)罪の「律法」は絶えず人間の肉の肢体の内に働き,事実上,人間の歩みを支配し,人間を神との調和を失った,罪の律法の臣下にしようとしています。―ロマ 7:15,17,18,20-23; エフェ 2:1-3。

      罪という「王」は,人により,また時代によって,異なった方法で人々に“命令”を下すことがあります。ですから,神はアダムの最初の息子カインが弟のアベルに対して抱いた怒りに注目し,カインに,善いことを行なうようになるべきであると警告なさいました。というのは,神は,「罪が入口にうずくまっており,それが慕い求めているのはあなたである。あなたはそれを制するだろうか」と言われたからです。しかし,カインは自らをそねみと憎しみの罪に制されるままにし,殺人を犯してしまいました。―創 4:3-8。サム一 15:23と比較。

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