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マルタ,I聖書に対する洞察,第2巻
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パウロの難船 贖罪の日(9月または10月)の後しばらくして,パウロが囚人として乗っていた船は,“良い港”というクレタ島の港をたってから,東北東からのものと思われる大暴風(ユーラクロン)に襲われました。船はその暴風雨でクレタ島の沿岸からカウダ島まで流され,船員たちは「スルテス」,つまり北アフリカの海岸沿いの砂州に乗り上げてしまうのではないかと恐れました。(使徒 27:8,9,13-17)東北東の風が吹いたのであれば,船がカウダ島の北北西約1,000㌔の所にあるムルジェト島まで流されたりするはずがありません。船は2週間ほど漂流した後,カウダ島の西北西約870㌔の所にあるマルタ島に近づいたものと思われます。―使徒 27:33。「ユーラクロン」を参照。
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船員聖書に対する洞察,第2巻
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使徒 27章15-19節には,あらしの間に船員たちが講じた措置に関する真に迫った記述があります。まず,綱で引いていた小舟,つまり必要な時に救命艇の役目を果たしたと思われる小舟を船上に引き上げました。それから補助用具,恐らく綱や鎖を使ってその船を縛ります。つまり綱や鎖を船体に巻きつけて甲板に固定するわけです。次に索具類が降ろされました。これは主帆を降ろしたということかもしれません。船を軽くするために積み荷を船外に投げ捨てると,それによって船の浮力は増しました。―ヨナ 1:5; 使徒 27:38と比較。「船」を参照。
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船聖書に対する洞察,第2巻
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パウロはそれ以前にも船でかなり旅行していました。この旅行の前にもすでに3度難船を経験していました。(コリ二 11:25)このとき彼が乗った船は主帆と前帆のある帆船で,船尾にある2本の大きなかいで舵を取るようになっていました。こうした船にはよく,特定の男神や女神を表わした船首像が付いていました。(パウロが後で乗った船には「ゼウスの子ら」の船首像が付いていました。)(使徒 28:11)船の後ろには小舟,つまり一人こぎの舟が一そう付いていました。それは海岸の近くで船の錨を下ろした時,岸まで近づくのに用いられました。水浸しになったり壊れたりするのを防ぐため,あらしの間この小舟は引き上げられました。パウロのこの船旅では,あらしがひどくなったので水夫たちは船を縛り(船がばらばらにならないように船体の片方の側面から綱か鎖を下ろして反対側まで回すことを指しているのかもしれない),索具類を降ろし,小麦の積み荷を海に投げ落とし,装具を投げ捨て,舵ろを(傷むのを防ぐため)縛り付けました。―使徒 27:6-19,40。
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スルテス聖書に対する洞察,第1巻
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使徒パウロが囚人としてローマに連れて行かれた時,パウロが乗っていた船はクレタの南で北東の強風に襲われました。そのため,水夫たちは「スルテス」に乗り上げてしまうことを恐れましたが,それはシドラ湾の流砂または砂州のことだったようです。―使徒 27:14-17。
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