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ヘブライ語聖書に対する洞察,第2巻
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しかし,ヘブライ語が生きた言語として西暦紀元の最初の世紀まで存続したという見方を支持する最も強力な証拠は,クリスチャン・ギリシャ語聖書の中でヘブライ語に言及している箇所に見いだされます。(ヨハ 5:2; 19:13,17,20; 20:16; 啓 9:11; 16:16)それらの箇所の「ヘブライ語」という用語を「アラム語」と読むべきだと考えている学者は少なくありませんが,「アラム語」の項で述べられているように,その用語が実際にヘブライ語を指して使われていると考えるべきもっともな理由があります。パウロはエルサレムの人々に「ヘブライ語」で話しかけたと述べている医師ルカが,アラム語つまりシリア語を意味していたとは考えられないようです。(使徒 21:40; 22:2。使徒 26:14と比較。)ヘブライ語聖書では,それ以前からアラム語(シリア語)と「ユダヤ人の言語」とは区別されており(王二 18:26),また聖書のこの章句のことを考慮した1世紀のユダヤ人の歴史家ヨセフスは「アラム語」と「ヘブライ語」について別個の言語として語っているので(ユダヤ古代誌,X,8 [i,2])クリスチャン・ギリシャ語聖書の筆者たちがアラム語またはシリア語のことを意味して,「ヘブライ語」と言うべき理由は一つもないように思われます。
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