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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 同様に,デルフォイで発見された碑文も,ガリオが,西暦51-52年ごろと思われますが,アカイアの執政官代理<プロコンスル>だったことを確証しています。(使徒 18:12)西暦前2世紀から西暦3世紀までのものとされる19点ほどの碑文は,ルカが市の支配者(単数,ポリタルケース)という称号をテサロニケの役人に用いている(使徒 17:6,8)のが正しいことを確証しています。それらの碑文のうちの五つは特にその都市に言及しています。(「市の支配者」を参照。)同様に,ポプリオのことをマルタの「主立った人」(プロートス)と呼んでいる箇所(使徒 28:7)でも,用いられるべき正確な称号が使われています。その正確さを示すものとして,マルタ島の二つの碑文,一つはラテン語,もう一つはギリシャ語の碑文にその称号が出ています。エフェソスではアルテミス神殿をはじめ,魔術用のテキストも見つかりました。(使徒 19:19,27)エフェソスでの発掘により,2万5,000人を収容できる劇場が出土しましたし,パウロのために仲裁をした人たちのような「祝祭や競技会の委員」や,その時,群衆を静めた人物のような「記録官」に言及している碑文も出土しました。―使徒 19:29-31,35,41。

  • エフェソス
    聖書に対する洞察,第1巻
    • デメテリオに唆されたエフェソス人は劇場で暴動を起こしましたが,その劇場はこの大競技場の南方800㍍足らずの所にありました。その劇場はピオン山の谷間に位置していました。(使徒 19:23-41)劇場の正面は柱,壁がん,および立派な彫像で飾られていました。大理石でできた観客用の座席は半円形に66列設けられており,約2万5,000人を収容できたと推定されています。この劇場の音響効果は大変優れていました。今日でも,舞台のあった場所で低い声で一言話しても,最上段の座席で聞き取ることができます。―第2巻,748ページの写真。

  • ガイオ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 1. 使徒パウロの第3回宣教旅行に同行したマケドニア人。この人はエフェソスで銀細工人デメテリオの扇動によって暴動が起きた時,アリスタルコと共にむりやり劇場の中に連れ込まれました。―使徒 19:29。

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