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  • 命
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 「命の巻き物」もしくは神の「書」のことが何回か述べられています。それには,信仰のゆえに天と地のどちらかで永遠の命を授与されることになっている人すべての名が含まれているものと思われます。「世[すなわち,請け戻すことのできる人類の世]の基が置かれて以来」のエホバの僕たちの名が含まれています。ですから,義なるアベルの名はその「巻き物」に記されている最初の名であると思われます。―啓 17:8; マタ 23:35; ルカ 11:50,51。

  • 名
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 「命の書」に書かれる名 比喩的に言って,エホバ神は「世の基が置かれて」以来,命の書に名を書いてこられたようです。(啓 17:8)キリスト・イエスはアベルのことを『世の基が置かれた』時に生きていた人として話されたので,その言葉からすると,「世」とはアダムとエバに子供たちが生まれてから存在するようになった,贖い得る人類の世を指すことが分かります。(ルカ 11:48-51)象徴的なその巻き物に最初に記されたのはアベルの名だったと思われます。

  • 世,世界
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 『世の基が置かれる』 コスモスと人間世界とのこの明確なつながりは,幾つかの聖句で述べられている,『世の基が置かれる』という表現の意味を理解するのにも役立ちます。それらの聖句は幾つかの物事が「世の基が置かれて以来」起きていると述べています。その中にはアベルの時以来行なわれてきた『預言者の血を流すこと』,『王国を備えること』,および『名が命の巻き物に書かれること』が含まれています。(ルカ 11:50,51; マタ 25:34; 啓 13:8; 17:8。マタ 13:35; ヘブ 9:26と比較。)そのような物事は人間の生活や活動と関係していますから,『世の基が置かれること』は,生命のない創造物や動物のではなく,人間の始まりと関係しているに違いありません。ヘブライ 4章3節によれば神の創造の業は,「世の基が置かれた時以来」始まったのではなく,その時までに「終わって」いました。エバはエホバの地的な創造の最後のものであったと思われますから,世の基を置くことが彼女よりも前であったということはあり得ません。

      「アベル」(1項),および「予知,あらかじめ定める」(メシアに関する事柄をあらかじめ定める)の項で示されているように,ギリシャ語の『基を置くこと』に相当する語(カタボレー)は人間の妊娠とそれに続く出産を指す場合があります。カタボレーは字義通りには「[種を]下に投げること」を意味し,ヘブライ 11章11節では「宿す」(改標,新世)と訳すこともできます。この語のそこでの用法は,アブラハムが息子をもうけるための人間の胤を『下に投げ』,次いで受精がなされるようサラがその胤を受けたことを指しているようです。

      ですから,『世の基が置かれること』を,物質宇宙の創造の初めを意味すると取る必要はありません。また,「世の基の置かれる前」という表現も(ヨハ 17:5,24; エフェ 1:4; ペテ一 1:20),物質宇宙の創造に先立つどこかの時点を指しているのではありません。むしろ,これらの表現は最初の人間夫婦アダムとエバによって人類の『基が置かれた』時と関係があるようです。アダムとエバはエデンの外で,受け継いだ罪から救出する神の備えから益を受けることのできる胤を宿し,子を産むようになりました。―創 3:20-24; 4:1,2。

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