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名聖書に対する洞察,第2巻
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他の者の「名において」話したり行動したりするということは,その者の代表者としてそうすることを意味しました。(出 5:23; 申 10:8; 18:5,7,19-22; サム一 17:45; エス 3:12; 8:8,10)同様に,だれかの名においてある人を迎えるということは,そのだれかを認めていることを示すものとなります。したがって,『預言者の名において預言者を迎える』とは,預言者であるゆえにその人を迎えるということを意味します。(マタ 10:41,欽定,新世)また,「父と子と聖霊との名」においてバプテスマを施すとは,父,子,および聖霊を認めてそうするという意味になります。―マタ 28:19。
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ペンテコステ聖書に対する洞察,第2巻
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イエスはご自分の最後の過ぎ越しの晩に新しい契約を弟子たちに発表し,また,昇天する直前に,エルサレムで約束の聖霊を待つよう弟子たちに指示しておられました。使徒ペテロが説明した通り,今や,「この方は神の右に高められ,約束の聖霊を父から受けたので,この,あなた方の見聞きするものを注ぎ出されたのです」。(ルカ 22:20; 使徒 2:33)およそ120人の弟子たちが奇跡的に様々な言語で話していたのですから,神の霊があったことは明らかです。そのような方法によって,ローマ帝国内のあらゆる場所から来ていた大勢のユダヤ人や改宗者たちは「神の壮大な事柄」を聞いて,よく理解できました。(使徒 2:7-11)その時に初めて,イエスがマタイ 28章19節で命じておられた父と子と聖霊の名によるバプテスマを受けるようペテロが説き勧めました。(使徒 2:21,36,38,39)イエスはご自分の犠牲の価値を持って天に入ったので,追随者たちを導いて新しい契約を結ばせることがおできになりました。―ヘブ 9:15-26。
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霊聖書に対する洞察,第2巻
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どのようにしてその「名」においてバプテスマを施すか マタイ 28章19節は「父と子と聖霊との名」に言及しています。「名」は個人名以外のことを意味する場合があります。英語で,「法の名において」とか,「常識の名において」などと言う場合,そのような名の人に言及しているわけではありません。これらの表現の中の「名」は,『法によって表わされているもの,つまりその権威』や『常識によって表現されている,もしくは要求されているもの』を意味しています。「名」という意味のギリシャ語(オノマ)もそのような意味を持つことができます。したがって,ある翻訳(欽定,ア標)はマタイ 10章41節のギリシャ語本文を字義通りに訳し,「預言者たる名において預言者を受くる者は預言者の報いを受け,義人たる名において義人を受くる者は義人の報いを受くべし」としており,もっと現代の翻訳は,「預言者であるということで預言者を迎える」,また「義人であるということで義人を迎える」,その他,同様の仕方で訳しています。(改標,聖ア,エルサレム,新世)ですから,ロバートソンの「新約聖書の絵画的描写」(1930年,第1巻,245ページ)という本はマタイ 28章19節について,「この箇所の名(オノマ)の用法はセプトゥアギンタ訳やパピルス写本では権力もしくは権威を表わす一般的な用法である」と述べています。ゆえに,『聖霊の名において』バプテスマを受けることは,その霊を神に源を発するもの,また神のご意志にしたがって機能するものとして認めることを示唆しています。
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教える者,教師,教える聖書に対する洞察,第1巻
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人々を弟子とし,教える イエス・キリストは復活させられた後,ご自分の追随者たちに人々を弟子としてバプテスマを施し,ご自分の命令した事柄すべてをそれらの弟子たちに教える使命をお与えになりました。(マタ 28:19,20)広範囲にわたるこの教える業は西暦33年のペンテコステの日に開始され,その日,ユダヤ人や改宗者およそ3,000人がイエスを約束のメシアとして受け入れ,バプテスマを受けました。それら新しい弟子たちは使徒ペテロの講話を聞いてキリスト・イエスの追随者になりましたが,彼らを教えることはそれで終わったわけではありませんでした。それらの弟子たちが学ぶべき事柄はまだたくさんありました。そういうわけで,ペンテコステの祭りに出るため,遠くの場所からエルサレムに来ていた人たちは,ひたすら使徒たちの教えを受けるために滞在期間を延ばしました。彼らは使徒たちの話を聴くためだったと思われますが,毎日神殿の境内で集まりました。また,ほかのユダヤ人や改宗者たちも,そこで良いたよりを聞くようになり,信仰を抱いた男子の数はついにおよそ5,000人に増えました。(使徒 2:14–4:4)使徒たちはまた,神殿で公に教えただけでなく,イエス・キリストについての良いたよりを家から家に宣明しました。―使徒 5:42。「宣べ伝える者,宣べ伝える業」(「家から家へ」)を参照。
後日,迫害によって信者たちが散らされ,またユダヤ人ではない人々の間で宣べ伝える業が始まるにつれ,人々を弟子とする業は遠い所にまで広がりました。(使徒 8:4-12; 11:1-26)しかし,エルサレムで行なわれたように,公に宣べ伝えて教える業は多くの場合,関心のある人々を見つけるために行なわれ,弟子となった人たちはその後も引き続き教えを受けました。例えば,使徒パウロはエフェソスでは会堂で公に教えました。反対が起きた後,彼は弟子たちを不信仰なユダヤ人から別にし,ツラノの学校の講堂で弟子たちのために講話を行ないました。(使徒 19:8-10)パウロはまた,弟子たちを彼らの家でも教え,さらに家から家へと訪ねて教えることにより,関心のある,ほかの人々をも探し出しました。彼がエフェソス会衆の年長者たちに思い起こさせたとおりです。「わたしは,何でも益になることをあなた方に話し,また公にも家から家にもあなた方を教えることを差し控えたりはしませんでした」― 使徒 20:20,21。コリントでのパウロの活動に関しては,使徒 18:6,7と比較。「弟子」を参照。
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