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しるし,標識聖書に対する洞察,第1巻
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「人の子のしるし」 その同じ時に,イエスは弟子たちに次のように言われました。「またその時,人の子のしるしが天に現われます。そしてその時,地のすべての部族は嘆きのあまり身を打ちたたき,彼らは,人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見るでしょう」。(マタ 24:30; ルカ 21:27)イエスはこの言葉を述べられる少し前に,預言者ダニエルについて話しておられました。(マタ 24:15; ダニ 9:27; 11:31)そして,イエスがここで用いた表現からして,今度はダニエル 7章13,14節に戻って言及しておられたことは明らかです。そこでは幻の中で「天の雲と共に人の子のような者」が「日を経た方」に近づき,『滅びに至ることのない王国』を受ける様子が描かれています。このことは,「人の子のしるし」をイエスが王国の権能を行使する時と結び付けるものでした。イエスは「人の子」という表現とダニエル 7章13,14節の預言をご自分に適用されたのです。―マタ 26:63,64; マル 14:61,62。
エルサレムの滅びから26年後の西暦96年ごろ,ヨハネは将来に起きる事柄について書きましたが,彼はイエス・キリストが「雲と共に来る」のを,『そして,すべての目は彼を見,彼を刺し通した者たちも見る』のを幻の中で見ました。(啓 1:1,7)したがって,西暦96年より後に生じることになっていた事柄に関するこの言葉,および「人の子のしるし」についてキリストが話された事柄はいずれも,イエスが雲のうちに来ること,そしてすべての民がイエスを見ることについて述べていました。(「雲」を参照。)しかし,マタイ 24章30節と啓示 1章7節で用いられている,「見る」に相当するギリシャ語の動詞ホラオーは,文字通り「物を見る,眺める」ことを意味する場合もあるものの,「識別する,知覚する」といった精神的な視力に関する隠喩として用いられる場合もあることに注目すべきです。―「希英辞典」,H・リデルおよびR・スコット共編,H・ジョーンズ改訂,1968年,1245ページ,第1欄。
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人の子聖書に対する洞察,第2巻
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しかし,イエスはマタイ 24章30節とルカ 21章27節で,聖書が邪悪な人たちに対する神の裁きの執行と関連づけている種類の天文現象に言及したすぐ後に,「人の子のしるし」について預言しました。(マタ 24:29およびルカ 21:25,26をイザ 13:9,10およびヨエ 2:30,31と比較。)「地のすべての部族は……人の子が力と大いなる栄光を伴い,天の雲に乗って来るのを見」て,「嘆きのあまり身を打ちたた」くので,これはイエスの王権の超自然的な表明が,神のご意志に従ってこなかった人たちの心に恐れを抱かせる時のことに言及していると思われます。
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