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ユダ,II聖書に対する洞察,第2巻
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ユダの選んだ歩みは,悪意,貪欲,誇り,偽善,たくらみなどが関係した意図的な歩みでした。彼はあとで罪悪感に悩まされて悔恨の情を感じました。それは故意に殺人を犯した人でもその犯罪の結果に悔恨の情を感じることがあるのと同じです。それでもユダは,「ゲヘナの裁き」を受ける自分たちに倍して改宗者たちをゲヘナに行くべきものとしているとイエスが言われた者たちと,自分の意志で取り引きをしたのです。(マタ 23:15,33)イエスご自身は,地上での生涯の最後の晩に,実際ユダについて,「その人にとっては,むしろ生まれてこなかったほうがよかったでしょう」と言われました。後にキリストはユダのことを「滅びの子」と呼ばれました。―マル 14:21; ヨハ 17:12; ヘブ 10:26-29。
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改宗者聖書に対する洞察,第1巻
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活発に改宗者を得る バビロンへの流刑の結果としてユダヤ教は各地に広まりました。離散したユダヤ人は多くの国の異教徒たちと接触するようになりました。会堂が設置され,ヘブライ語聖書がギリシャ語で入手できるようになったため,ローマ領内の至るところで人々はユダヤ人の宗教について容易に学べるようになりました。ホラティウスやセネカなどの古代の著述家は,様々な土地で多くの人々がユダヤ人の仲間となって改宗者になったことを証言しています。ヨセフスはシリアのアンティオキアのユダヤ人が,「自分たちの宗教的な儀式にいつも大勢のギリシャ人を引き寄せ,それらの人々をある程度自分たちの一部としていた」と伝えています。(ユダヤ戦記,VII,45,[iii,3])「注釈者の聖書辞典」は,「ローマのユダヤ人は改宗活動に非常に積極果敢な精神を示したため,自分たちの宗教熱でローマ人を冒そうとしているとの非難を受けた。政府は西暦前139年に主立った宣伝者たちを市から追放した」と指摘しています。(G・バトリク編,1962年,第3巻,925ページ)もちろん,この非難は恐らく政治的な動機から出た,または何らかの人種的もしくは宗教的な偏見に起因する根拠のないもの,あるいは誇張されたものであったかもしれません。それでも,イエスは偽善的な書士とパリサイ人に関して,「あなた方は一人の改宗者を作るために海と陸を行き巡り,それができると,これを,自分に倍してゲヘナに行くべき者とする」と言われました。―マタ 23:15。
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