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油そそがれる,油そそぎ聖書に対する洞察,第1巻
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ナザレのイエスはヘブライ語聖書の多くの預言を成就することにより,エホバの油そそがれた者であることを実証されたので,その考えを伝える称号であるメシアまたはキリストと呼ばれるにふさわしい方でした。(マタ 1:16; ヘブ 1:8,9)文字通りの油で油そそがれる代わりに,イエスはエホバの霊によって油そそがれました。(マタ 3:16)これはエホバがイエスを王,預言者,および大祭司として任命されたということであり,それゆえにイエスはエホバの油そそがれた者と呼ばれました。(詩 2:2; 使徒 3:20-26; 4:26,27; ヘブ 5:5,6)イエスは郷里のナザレでイザヤ 61章1節の預言をご自分に当てはめた時,その油そそぎを認められました。イザヤ書のその節には『エホバがわたしに油をそそがれた』という句が出ています。(ルカ 4:18)聖書の中で,預言者,大祭司,および王という三つの職務を兼任する油そそぎを受けているのは,イエス・キリストだけです。イエスは「歓喜の油を[彼の]仲間[ダビデの家系の他の王たち]に勝って」そそがれました。そう言えるのは,イエスが油ではなく聖霊により,地上の王権ではなく天的大祭司の職を兼ねた天の王権を執るべく,エホバご自身から直接油そそぎを受けたからです。―ヘブ 1:9; 詩 45:7。
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はと聖書に対する洞察,第2巻
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イエスがバプテスマを受け,そののち神の聖霊によって油そそがれた時,その聖霊は「はとのような形をとって」現われましたが,それが目に見える仕方でイエスに下って来るさまは,止まり木に近づこうとするはとが舞い降りるさまに似ていたと思われます。(ルカ 3:22; マタ 3:16; マル 1:10; ヨハ 1:32-34)はとの純真さという特徴からすれば,それはふさわしい象徴でした。―マタ 10:16。
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