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    聖書に対する洞察,第1巻
    • 比喩的な用法 バプテスマを施す人ヨハネは,真に悔い改める人々を,集められた小麦に見立てる一方,パリサイ人やサドカイ人をもみがらになぞらえて,それら指導者たちの危険な状況について警告しました。ヨハネは彼らにこう語りました。「わたしの後に来る方は……自分の小麦を倉の中に集め,もみがらのほうは,消すことのできない火で焼き払うのです」。(マタ 3:7-12; ルカ 3:16,17)イエスは「収穫」を予告し,それが「事物の体制の終結」に相当すると言われました。その時,「刈り取る者」であるみ使いたちは象徴的な「雑草」を焼いてしまうために集めますが,「小麦」のほうは神の「倉」,すなわち回復されるクリスチャン会衆に集め入れられ,そこで彼らは神の恵みと保護を受けます。―マタ 13:24-30,36-43。

  • 脱穀
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 比喩的な用法 穀物の茎が脱穀場で受ける扱いは,比喩的な意味で,エホバの敵が打ちたたかれ,粉砕される様子を示す非常に適切な象徴です。(イザ 41:15; エレ 51:33; ミカ 4:12,13; ハバ 3:12)脱穀はまた,人々が時おり他の人々に加える壊滅的な仕打ちを例証するものともなっています。(王二 13:7)あるいは,小麦をもみがらから分けることで,エホバの裁きによって義者を邪悪な者から分ける業が描写されることもあります。(マタ 3:12)さらに別の意味では,長期にわたる大量の脱穀は繁栄とエホバの祝福を意味しています。―レビ 26:5; ヨエ 2:24。

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