-
倉,倉庫聖書に対する洞察,第1巻
-
-
比喩的な用法 バプテスマを施す人ヨハネは,真に悔い改める人々を,集められた小麦に見立てる一方,パリサイ人やサドカイ人をもみがらになぞらえて,それら指導者たちの危険な状況について警告しました。ヨハネは彼らにこう語りました。「わたしの後に来る方は……自分の小麦を倉の中に集め,もみがらのほうは,消すことのできない火で焼き払うのです」。(マタ 3:7-12; ルカ 3:16,17)イエスは「収穫」を予告し,それが「事物の体制の終結」に相当すると言われました。その時,「刈り取る者」であるみ使いたちは象徴的な「雑草」を焼いてしまうために集めますが,「小麦」のほうは神の「倉」,すなわち回復されるクリスチャン会衆に集め入れられ,そこで彼らは神の恵みと保護を受けます。―マタ 13:24-30,36-43。
-