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  • アザゼル
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 使徒パウロが説明したとおり,イエスはご自身の人間としての完全な命を人類の罪のための犠牲としてささげることによって,「雄牛ややぎの血」が達成したよりはるかに多くのことを成し遂げられました。(ヘブ 10:4,11,12)こうしてイエスは「身代わりのやぎ」として仕え,『わたしたちの病を担う』者,また『わたしたちの違犯のために刺し通された』者となられました。(イザ 53:4,5; マタ 8:17; ペテ一 2:24)イエスは,ご自分の犠牲の価値に信仰を働かせるすべての人の罪を「運び去り」ました。イエスは,罪の状態を完全な忘却に至らせる神の備えを実際に示されました。こうして「アザゼルのため」のやぎは,イエス・キリストの犠牲を表わしています。

  • 疾患と治療
    聖書に対する洞察,第1巻
    • エホバは病気を取り除くことがおできになります。(出 15:26; 23:25; 申 7:15)イザヤは,「『わたしは病気だ』と言う居住者はいない」時代のこと(イザ 33:24),および盲人や耳の聞こえない人,足のなえた人,口のきけない人が霊的にいやされることを書きましたが,これらの預言は身体的ないやしが行なわれることの約束ともなっています。(イザ 35:5,6)イエス・キリストは地上におられた時,「彼は自らわたしたちの病を取り去り,わたしたちの疾患を担った」というメシアに関する預言を成就して,病める人々の身体的また霊的ないやしの両方を成し遂げられました。(マタ 8:14-17; イザ 53:4)こうしたいやしの根拠となったのはイエスの人間としての命という犠牲で,西暦29年にヨルダン川で神の霊がイエスに臨んで以来イエスがたどられた歩みは,その犠牲をもって最高潮に達することになっていました。ですから,クリスチャンには,復活後のイエス・キリストを通し,また神の王国によって,従順な人類が疾患の単なる一時的な治療ではなく,アダムに由来する罪と病気と死からの永久の解放を享受するという希望の根拠と豊富な証拠があるのです。このことに関するすべての賛美は,ダビデが『あなたのすべての疾患をいやしておられる』方として認めたエホバに帰せられてしかるべきです。―詩 103:1-3; 啓 21:1-5。

  • 頭(あたま)
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イスラエルの大祭司は毎年,アザゼルのためのやぎの頭の上に両手を置いて,民の罪を告白し(つまり,罪をやぎに転嫁し),次いでその動物はそのとがを忘却のかなたへ運び去るため,荒野に連れて行かれました。(レビ 16:7-10,21,22)他の聖句も示しているように,イエス・キリストは自ら『わたしたちの病を担い,痛みを負い』,また『多くの人の罪を負って』くださいました。―イザ 53:4,5; ヘブ 9:28; ペテ一 2:24。

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