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知識聖書に対する洞察,第2巻
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知識を得る上での注意 ソロモンは,「知恵の満ちあふれるところには,いら立ちが満ちあふれる。したがって,知識を増し加える者は痛みを増し加えるのである」と述べた時,知識の望ましくない面を示していたようです。(伝 1:18)これは,知識に関する聖書の全般的な見方に反していると思えるかもしれません。しかし,この場合もソロモンが強調しているのは,神の命令を実行する以外のあらゆる事柄における人間の努力のむなしさです。(伝 1:13,14)例えば,多くの分野で知識や知恵を得る人,さらには特定の専門分野を深く探究する人がいるかもしれません。そのような知識や知恵は,神の宣明された目的と直接には関係がないにしても,それ自体はふさわしいものかもしれません。しかし,そのようにして知識や知恵が増し加わっても,寿命が短いため,また不完全な人間社会の様々な問題や悪条件が立ちはだかって妨害するために,知識や知恵を活用する機会がいかに限られているかをいっそう痛感させられることがよくあります。これは,いら立ちの種となり,ざ折感という痛みを感じさせるものとなります。(ロマ 8:20-22; 伝 12:13,14と比較。「伝道の書」を参照。)したがって,『多くの書物に専念する』ことによって得られる知識も,神の命令を実行することと結び付いていない限り,また,そうするために用いられるのでない限り,「体が疲れる」結果になります。―伝 12:12。
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知恵聖書に対する洞察,第2巻
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人間の知恵にはむなしいものが多い ソロモン王は,人間が罪と不完全さに影響されながら続けてきた「災いの多い営み」を調査し,人が一般に培って身に着ける知恵の価値を考量して,そのような知恵が「風を追うようなもの」であることに気づきました。不完全な人間の社会に見られる乱れやゆがみや欠陥は,人間の力で是正したり補正したりすることはとてもできない状態だったので,『あふれるほど知恵を得る』人たちは欲求不満やいら立ちを募らせることになりました。それは事態を改善したくても個人としてはほとんど何もできないことを痛感したからでしょう。―伝 1:13-18; 7:29。ロマ 8:19-22と比較。そこで使徒パウロは,人間が腐朽への奴隷となって虚無に服しているものの,神がその状態を終わらせてくださる,ということを示している。
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