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繁栄は信仰を試みることがあるものみの塔 1993 | 7月15日
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結局アサフは自分の考え方が間違っていたことに気づき,こう述べました。「もしわたしが,『そのように話をしよう』と言ったのなら,見よ,あなたの子らの世代に対して,わたしは不実な行為をしたことになる。それで,わたしはこのことを知ろうと考えつづけた。それはわたしの目に難儀なことであった。わたしが神の大いなる聖なる所に入って行くまでは。わたしは彼らの将来を見極めたいと思った。確かに,あなたは彼らを滑りやすい地に置かれます。あなたは彼らを滅びに陥れました。ああ,彼らは一瞬のことのように驚きの的となってしまいました。彼らはその終わりに至り,突然の恐怖によって終わりを迎えました。エホバよ,目覚めた後の夢のように,あなたは身を起こすとき彼らの像をさげすまれます」― 詩編 73:15-20。
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繁栄は信仰を試みることがあるものみの塔 1993 | 7月15日
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アサフは,神が邪悪な者を「滑りやすい地に」置かれたことに気づきました。彼らの生活は物質的なものを中心にしていたので,突然の崩壊に遭う危険があります。どんなに遅い場合でも,年を取って死ぬことになりますし,不正な仕方で集めた富も長生きを保証するわけではありません。(詩編 49:6-12)彼らの繁栄は素早く過ぎ去る夢のようです。老齢になるまでに裁きが彼らにもたらされることさえあるでしょう。そのとき,彼らは自分のまいているものを刈り取るのです。(ガラテア 6:7)自分たちを助けることのできる唯一の方に背を向けたので,どうすることもできず,希望もない状態で放っておかれています。エホバは,彼らに敵対して行動されるとき,彼らの「像」,つまり虚飾と地位とを侮べつの目でご覧になります。
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