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アハシュエロス聖書に対する洞察,第1巻
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3. エステル記のアハシュエロスは,ペルシャのダリウス大王(ダリウス・ヒュスタスピス)の息子のクセルクセス1世と考えられています。アハシュエロス(クセルクセス1世)は,インドからエチオピアまで127の管轄地域を支配したことが示されています。この王の支配した期間の多くの時期にその首都となったのはシュシャンです。―エス 1:1,2。
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考古学聖書に対する洞察,第1巻
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エステル記に記録されている出来事の舞台となったシュシャンは,1880年から1890年にかけて,フランスの考古学者により発掘されました。(エス 1:2)そして,面積およそ1㌶に及ぶクセルクセスの王宮が姿を現わし,ペルシャの王たちの光輝と威光が明らかにされました。それらの発掘物により,ペルシャ王国の行政および宮殿の構造に関してエステル記の筆者が述べている詳細な事柄の正確さが確証されました。I・M・プライスの著わした,「記念碑と旧約聖書」(1946年,408ページ)という本はこう注解しています。「旧約聖書中に描写されている出来事で,“シュシャン宮殿”の場合ほど,実際に発掘された遺物によって,その出来事が起きた状況を建造物の面から極めて生き生きと正確に復元できる例はほかにない」。―「シュシャン」を参照。
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城聖書に対する洞察,第1巻
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バビロンから360㌔ほど東にある「シュシャン城」は,ペルシャの王がある時期だけ住む住居でした。ネヘミヤはエルサレムへたつ前にここで王の献酌官として働きました。(ネヘ 1:1)また,ダニエルの幻の一つの舞台となったのもここでした。(ダニ 8:2)しかし,「シュシャン城」はエステル記の背景となった場所として最もよく知られています。(エス 1:2,5; 3:15; 8:14)「シュシャン城」は一棟の特定の建造物ではなく,防備の施された領域にある王宮の建物群だったようです。記述に出て来る幾つかの詳細な点はそのことを裏付けています。そこには処女たちがアハシュエロスの前に出るために整えられる「女の家」がありました。(エス 2:3,8)モルデカイは政府の中で高い地位に就けられる前,『シュシャン城の中に』あった「王の門に」毎日配置されていました。―エス 2:5,21; 3:2-4。「シュシャン」を参照。
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