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  • アントニアの塔
    聖書に対する洞察,第1巻
    • アントニアの塔は神殿境内の北西隅に位置し,ネヘミヤがかつて,ネヘミヤ 2章8節に述べられている城(もしくは要塞)を建造した場所を占めていたものと思われます。ヘロデ大王は,そこに大々的で工費のかさむ修復工事を行なって,その防備を強化しました。そこはそれまでバリスとして知られていましたが,ヘロデは,マルクス・アントニウスに敬意を表して,それをアントニアと名づけました。ユダヤ人の大祭司で支配者でもあったヨハネ・ヒルカノスがそれ以前に行なったのと同じように,ヘロデも祭司職のための衣服をそこに保管させました。それは,大祭司に対する制御もしくは統制力をある程度保持するための手段であったようです。

  • アルタクセルクセス
    聖書に対する洞察,第1巻
    • アルタクセルクセス・ロンギマヌスはその治世の第20年(西暦前455年)に,エルサレムに戻って都の城壁と門を再建する許可をネヘミヤに与えました。(ネヘ 2:1-8)このことはダニエル 9章25節でメシアの約束された到来の時と関連して言及されているので,アルタクセルクセスの第20年は非常に重要な年代です。

  • アサフ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 4. ネヘミヤがエルサレムに帰って来た当時(西暦前455年),アルタクセルクセス王の「庭園の番人」であった人物。(ネヘ 2:8)その庭園は森の多い区域で,恐らくレバノンにあったと思われます。レバノンも当時はペルシャの支配下にありました。ネヘミヤが比較的重要な地位である王の献酌官として仕えていたように,この庭園の番人のヘブライ語の名前は,この公職に就いていた当人がユダヤ人であったことを示唆しているのかもしれません。―ネヘ 1:11。

  • 城
    聖書に対する洞察,第1巻
    • ネヘミヤは再建された神殿のすぐ北西,つまりその敷地で最も攻撃を受けやすい方向に,城もしくは要塞を築きました。(ネヘ 2:8; 7:2)この城はマカベア家によって置き換えられ,ヘロデ大王によって再建されたようですが,ヘロデはこれをアントニアの塔(要塞)と名づけました。パウロがローマの軍司令官に尋問されたのはそこでした。―使徒 21:31,32,37; 22:24。「アントニアの塔」を参照。

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