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  • アハズ
    聖書に対する洞察,第1巻
    • イザヤ 7章8節で,その期間内にエフライムが『みじんに砕かれる』ことになるとイザヤが預言した「六十五年」に関し,「聖書全巻の注解」(ジェーミソン,フォーセット,およびブラウン共編)は次のように述べています。「イスラエルの強制移住はこの時[イザヤが預言を行なった時]から一,二年以内にティグラト・ピレセルの支配下で一度起きた。(列王第二 15:29)もう一度起きたのはシャルマネセルの支配下のホシェアの治世中であり(列王第二 17:1-6),約20年後のことであった。しかし,イスラエルを完全に『打ち砕き』,『民族ではない』状態に陥らせると共に,外国人をサマリアに植民させた最後の強制移住は,エサル・ハドンの支配下で行なわれた。彼はユダの王マナセをもその治世の第22年,つまりこの預言が述べられてから65年後に連れ去って行った(エズラ 4:2,3,10を列王第二 17:24; 歴代第二 33:11と比較)」。

  • アッシリア
    聖書に対する洞察,第1巻
    • エサル・ハドン マナセの治世中(西暦前716-662年),アッシリア軍の長たちは,このユダの王を捕らえて,(当時アッシリアの支配下にあった)バビロンに連行することをエホバにより許されました。(代二 33:11)このことは,エサル・ハドンがエジプトと戦って勝利を収めた時に起きたのではないかと考える向きもあります。いずれにしても,碑文の中でエサル・ハドンに貢ぎを納めた者たちの一人としてユダのメナシ(マナセ)の名が挙げられています。マナセは後にエルサレムに復帰させられました。(代二 33:10-13)エズラ 4章2節によれば,北のイスラエル王国からの,また同王国への住民の移住は,エサル・ハドンの時代でもなお続いていたようで,イザヤ 7章8節の預言の「六十五年」の期間はこれで説明がつくかもしれません。―「アハズ」1項; 「エサル・ハドン」を参照。

  • エサル・ハドン
    聖書に対する洞察,第1巻
    • 歴代第二 33章10-13節の記録は,マナセが「アッシリアの王に属する軍の長たち」に捕らえられ,バビロンに連れて行かれたことを示しています。マナセが連れて行かれたのはニネベのはずであると考え,バビロンへのこの言及を間違いとした人たちが過去にいました。しかし,マナセと同時代の人であることがその碑文から判明しているエサル・ハドンは,前述のとおりその時までにバビロンを再建していましたし,「自分の首都ニネベを美しくすることについてはアッシリアの他のどの王よりも関心が薄かった」と言われています。(「注釈者の聖書辞典」,G・バトリク編,1962年,第2巻,125ページ)マナセの捕らえられたのがエサル・ハドンの治世中であったとすれば,その再建をエサル・ハドンが得意気に誇ったバビロンへマナセが連れて行かれたことには何の不調和もないでしょう。しかし,エサル・ハドンの子アシュルバニパルも,その治世中に貢ぎを納めた者としてマナセに言及している点に触れておかねばなりません。

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