-
兄弟聖書に対する洞察,第1巻
-
-
「兄弟」という語はまた,一つの総括的な主義の下に結ばれた,同じような意向や目的を持つ人たちにも適用されます。例えば,ティルスのヒラム王はソロモン王を自分の兄弟と呼びましたが,それは地位や立場が同等だったからというだけでなく,恐らく神殿のために材木その他の物資を供給する点で共通の関心を抱いていたためでもあったのでしょう。(王一 9:13; 5:1-12)ダビデは,「見よ,兄弟たちが一致のうちに共に住むのは何と良いことであろう。それは何と快いことであろう」と書き,肉親の兄弟たちの間の平和と一致が血縁関係だけで促進されるものではないことを暗に示しました。(詩 133:1)実際,ダビデはヨナタンを自分の兄弟と呼びましたが,それは同じ親から生まれたからではなく,相互に愛情と関心を抱いていたからでした。(サム二 1:26)性質や気質のよく似た仲間同士は,その性質や気質が悪い場合でも,やはり「兄弟」と呼ばれます。―箴 18:9。
-
-
カブル聖書に対する洞察,第1巻
-
-
2. ソロモンがティルスのヒラム王に与えた,ガリラヤの20の都市から成る地域に付けられた名称。この贈り物は,恐らく自分の建設計画においてヒラムから受けた援助に対するソロモンの感謝の気持ちからなされたものでしょう。しかし,ヒラムはそこを視察して,それらの都市が『彼の目にどう見てもかなわない』ことを知り,ソロモンに,「わたしの兄弟,あなたがわたしに下さったこれらの都市は,一体何ですか」と言いました。その後,そこは「カブルの地」と呼ばれるようになりました。―王一 9:10-13。
ヨセフスによれば,それらの都市は「ティルスからあまり遠くないところにあり」ました。(ユダヤ古代誌,VIII,142 [v,3])ガリラヤはイザヤ(9:1)から「諸国民のガリラヤ」と呼ばれているので,ある学者たちは,これら20の都市に恐らく異教の住民が住んでいたのだろうと考えています。そこにイスラエル人が住んでいたとすれば,ソロモンが異国の王に引き渡したとは思われません。それらの都市は,神がイスラエルに約束し,ソロモンの父ダビデによって征服された本来の地域の範囲内にはあったものの,実はイスラエル人が実際に住んでいた境界の外にあったのかもしれません。(出 23:31; サム二 8:1-15)レビ記 25章23,24節にある神の律法のゆえに,ソロモンの行為の妥当性が問われてきました。この律法は神の契約の民によって実際に占められた地域にのみ適用するとみなされたのかもしれません。そうであれば,ソロモンの贈り物は妥当性を欠いてはいなかったでしょう。もしそうでなかったとすれば,このことはソロモンが,馬を増やしたうえに異国の民から多くの妻をめとった場合のように,神の助言に全く付き従うことを怠ったもう一つの例となるでしょう。―申 17:16,17を王一 4:26; 11:1-8と比較。
それらの都市にヒラムが満足しなかった理由を記述は示していません。異教の住民がそこを魅力の乏しい状態にしていたのだと唱える人もいれば,その地理的な位置が気に入らなかったのだと言う人もいます。いずれにせよ,ヒラムがそれを喜ばなかった結果,それらの都市は「カブルの地」という名をもらうことになりました。この聖句のカブルの意味は少なからぬ論議の的となってきました。ヨセフス(前記)は,カブルが「フェニキアの言葉で『うれしくない』という意味に解される」と述べていますが,現代の学者たちはこの解釈を支持する他の証拠を見いだしていません。辞書編集者たちは一般に,ある種の語ろ合わせが関係していて,カブルが,「ないも同然の」という意味の同じような響きを持つヘブライ語の成句ケヴァルの意味で用いられているのではないかと唱えています。
-