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埋葬,埋葬所聖書に対する洞察,第2巻
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他の人の遺体を埋葬する行為は愛ある親切の表現とみなされました。ヤベシュ・ギレアデの人々は自分たちの命を危険にさらしてサウルとその息子たちのためにそのような埋葬を行なおうとしました。(サム一 31:11-13; サム二 2:4-6)埋葬を許されないということは災いとみなされ(エレ 14:16),神が人をその間違った歩みのゆえに退けられたことを表わす神の手段として述べられています。(エレ 8:1,2; 9:22; 25:32,33; イザ 14:19,20。啓 11:7-9と比較。)そのため,そうした遺体は動物により,また腐肉を食べる鳥により食い尽くされるままにされました。(詩 79:1-3; エレ 16:4)リツパが,息子たちの遺体の埋葬が最終的に許されるまで恐らく数か月の間,それを見捨てようとしなかったことに関する哀れを誘う記述は,それが非常に重要な問題であったことをまざまざと描いています。―サム二 21:9-14。
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杭に掛ける,つるす,首をつる聖書に対する洞察,第1巻
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ダビデが処刑のためにギベオン人に渡したサウルの二人の息子と5人の孫は,日の暮れる前に葬られませんでした。彼らは大麦の収穫の始まり(3-4月)から,収穫期が終了した後までであろうと思われますが,雨が降るようになるまで,野ざらしにされました。この場合にギベオン人が異なる処置を取ることを許された理由は,サウル王によって国家的な罪が犯されていたことにあるようです。サウルは以前にギベオン人の中のある人々を殺して,幾世紀も前にヨシュアが彼らと結んだ契約を破っていました。(ヨシュ 9:15)そこで,神はご自分の怒りのしるしとして,その地が3年にわたり飢きんを被るようにされました。それで,杭に掛けられた者たちの死体は,エホバが大雨によって干ばつの期間を終わらせることによりご自分の憤りが和らいだことを示されるまで,さらし者にされました。それからダビデは彼らの骨を葬らせ,その後,『神はこの地のために願いを聞き入れられました』。―サム二 21:1-14。
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