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きず聖書に対する洞察,第1巻
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『そのみ業が完全な[「そのみ業はきず(汚点)がない」,シリ訳]』エホバとは対照的に,神はイスラエルについて,「彼らは自ら滅びとなることを行なった。彼らはその子供ではない。その欠陥は彼ら自らのもの」と言われました。―申 32:4,5。
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過ち,とがめだて聖書に対する洞察,第1巻
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エホバの,とがのある人類に対する扱い エホバ神がお造りになるものは,そのみ言葉や行ないすべてと同様,完全で,とがのない(ヘ語,ターミーム。きずのない,完全な,とがのないものを指している)ものです。(申 32:4,脚注)神はこの理由で,またご自分が全能であるゆえに,ヨブを矯正なさった時のように,「とがめだてする者[字義,打ち懲らし,矯正し,懲らしめる者]が全能者と争おうとするのか」と言うことがおできになります。(ヨブ 40:1,2)使徒パウロは,陶器師が自分の作りたいと思う器を作るのと同じく,神にもご自分の意のままに被造物を扱う権利がある,という点を指摘しています。神はファラオを忍ばれたように,ある目的のために「憤りの器」を忍んでおられますが,その一方で,「憐れみの器」に憐れみを示しておられるのですから,神のこの行動に人が正当な異議を唱えることはできないのです。―ロマ 9:14-24。
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