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ベエロト・ベネ・ヤアカン聖書に対する洞察,第2巻
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ベエロト・ベネ・ヤアカン
(Beeroth Bene-jaakan)[ヤアカンの子らの井戸(複数)]
イスラエル人が荒野を放浪していた間に一度ならず宿営したと思われる場所。最後に宿営したのは,アロンがホル山で死ぬ少し前でした。(申 10:6)暫定的に,ベエル・シェバの南西約62㌔で,現代のエズズの近くにあるエル・ビレーンと同定されています。ここには井戸が幾つかあり,カデシュ・バルネアの位置であろうとされている場所は,ほんの数キロ南にあります。ネルソン・グリュックは,「この地域には古代遺跡が驚くほど多数ある」と注解しています。(「砂漠に流れる川」,1960年,97ページ)ベエロト・ベネ・ヤアカンは,民数記 33章31節では単にベネ・ヤアカンと呼ばれているようです。―「ベネ・ヤアカン」を参照。
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ベネ・ヤアカン聖書に対する洞察,第2巻
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申命記 10章6節では,「モセラ」(モセロトの単数形)に関連してベエロト・ベネ・ヤアカンのことが述べられていますが,これはベエロト・ベネ・ヤアカン(「ヤアカンの子らの井戸(複数)」の意)がベネ・ヤアカンと同じ場所であることを示唆しているようです。しかし,申命記の記述は,イスラエルの進路を民数記の記述とは逆の順序で列挙し,「イスラエルの子らはベエロト・ベネ・ヤアカンを旅立ってモセラに向かった」と述べています。荒野で何年も過ごしたことを考えると,イスラエル人がこの地域を二度通ったことも十分考えられます。「ペンタチュークとハフタラ」はこの聖句に関してこう述べています。「次のように説明することもできる。つまり,イスラエル人はエドムの地に向かって南に進んだ後,鋭く向きを変えて北に向かわねばならなかったということである」。(J・ヘルツ編,ロンドン,1972年)彼らはもと来た進路を少したどって以前に通った幾つかの場所を再び訪れることになり,この度は逆の順序に進んだのかもしれません。注目できるのは,申命記の記録が(10:6)モセラでの一時的な滞在について述べたすぐ後でアロンの死について述べているのに対し,民数記の記述は(33:31-39)アロンの死の件を扱った前の部分で,イスラエル人がエツヨン・ゲベルに,それから北西のカデシュに進んだことについて述べていることです。ですから,長い年月が関係していることも加味すれば,彼らが一度来た道をある程度戻ったとしても,あり得ないことではありません。
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