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脂肪聖書に対する洞察,第1巻
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ヘーレヴは通例,動物のものにせよ(レビ 3:3)人間のものにせよ(裁 3:22),「脂肪」という物質を表わすのに用いられています。焼燔の捧げ物の「腎脂肪」,つまり腎臓や腰のあたりの固い脂肪は,ペデルという別の語によっても表わされています。(レビ 1:8,12; 8:20)ヘーレヴは,アベルが自分の羊の群れの初子の中から「その脂ののったところ」をエホバに犠牲としてささげたことに関連して,創世記 4章4節に初めて出て来ます。以後ヘーレヴが出て来る箇所のほとんどは,専ら犠牲をささげることに関係しています。ヘーレヴはまた,何かの最良の,もしくは最も豊かな部分を指す隠喩としても用いられます。例えば,創世記 45章18節で,ファラオは,ヨセフの家族が「この地の肥えたもの」を自由に食べてよいとヨセフに告げています。ですから,民数記 18章12節も次のようになっています。「油の最良の部分[ヘーレヴ]すべて,また新しいぶどう酒と穀物の最良の部分[ヘーレヴ]すべて,……それをわたしはあなたに与えた」。―詩 81:16; 147:14を参照。
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初物,初なり,初穂聖書に対する洞察,第2巻
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大祭司によって国民のためにささげられたこれらの穀物の捧げ物のほかに,イスラエル人はすべての産物の初物を捧げ物として携えて来るよう求められていました。人や獣の男子もしくは雄の初子はすべて,エホバに対して神聖なものとされ,ささげられるか請け戻されるかしました。(「初子,長子,初子」を参照。)粗びき粉の初物は,輪型の菓子の形にしてささげることになっていました。(民 15:20,21)地の実りについても,イスラエル人はこれをかごに入れて聖なる所に携えて行き(申 26:1,2),その場所で,申命記 26章3-10節に記されている言葉を朗唱しました。その言葉は事実上,イスラエル人がエジプトに入ってから,救出されて約束の地に携え入れられるまでの,国民の歴史を要約したものでした。
初物が熟するたびにエルサレムまで行くという不都合をすべての人が経験しなくても済むよう,地方ごとにその地域の住民が寄進した初物を携えて行く代表者を遣わすことが慣例になったと言われています。こうした初物の,ささげるべき量については,律法に定められていませんでした。それは与える側の寛大さと感謝の精神に任されていたようです。しかし,初物のうちのえり抜きの部分,最良のものをささげることになっていました。―民 18:12; 出 23:19; 34:26。
新しく植えた木の場合,最初の3年間は無割礼であるかのように不浄なものとみなされました。4年目に,そのすべての実はエホバに対して聖なるものとなりました。次いで5年目に,所有者は自分のためにその実を取り入れることができました。―レビ 19:23-25。
レビ族以外のイスラエル12部族がささげたエホバに対する初物の寄進物は,祭司とレビ人によって用いられました。彼らはその地で相続地を受けなかったからです。(民 18:8-13)初物を忠実にささげることはエホバに喜びを,そして当事者すべてに祝福をもたらしました。(エゼ 44:30)初物を携えて来ないなら,それは神の当然受けるべきものを奪い取ることと神からみなされ,神の不興を買うことになりました。(マラ 3:8)イスラエルの歴史において,この慣行はなおざりにされることもありましたが,幾つかの時代には真の崇拝に熱心な支配者によって復興されました。ヒゼキヤ王は,改革の業を行なった際に無酵母パンの祭りの期間を延長して祝いました。そして,その機会にヒゼキヤは,初穂や什一の寄進に関する自分たちの務めを果たすよう民を諭しました。民は快くこたえ応じ,第3の月から第7の月に至るまで,穀物,新しいぶどう酒,油,蜜,および野のすべての産物の初物を大量に携えて来ました。(代二 30:21,23; 31:4-7)バビロンからの復帰後,ネヘミヤは民の先頭に立って,エホバの律法にしたがって歩むという誓いを立てましたが,その中にはあらゆる種類の初物をエホバのもとに携えて来ることが含まれていました。―ネヘ 10:29,34-37。「捧げ物」を参照。
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