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贖罪の日聖書に対する洞察,第1巻
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贖罪の日は,聖会の時であると共に断食の時でもありました。断食の時であったことは,民がその日に「自分の魂を苦しめる」ことになっていたという事実に示唆されています。これはモーセの律法のもとで課せられた唯一の断食でした。この日はまた,安息,つまり通常の労働を控える時でした。―レビ 16:29-31; 23:26-32; 民 29:7; 使徒 27:9。
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姿勢と身ぶり聖書に対する洞察,第1巻
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断食の時の外見。「自分の魂を苦しめる」とは,たぶん断食のことを指しており,嘆き悲しみ,罪を認めること,悔い改め,悔恨を表わしたものと思われます。(レビ 16:29,31; サム二 1:12; 詩 35:13; ヨエ 1:13,14)イエスが地上におられた時,偽善的な人々は,悲しげな顔をし,顔を醜く見せることにより,断食による「神聖さ」の見せかけを作りました。しかしイエスは弟子たちに,断食をする時には神が心を見ておられることを覚えておき,頭に油を塗り,顔を洗って,人には普通と変わりなく見せるようにと告げました。(マタ 6:16-18)霊的な事柄に注意を集中するため,時にはクリスチャンも断食を行ないました。―使徒 13:2,3。「断食」を参照。
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神聖聖書に対する洞察,第1巻
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エホバはご自分の民に対し,贖罪の日,「聖なる大会」の日に「自分の魂を苦しめる」ようお命じになりました。これは,断食をし,罪を認めて告白すると共に,そのことで敬虔な悲しみを抱くべきである,という意味でした。(レビ 16:29-31; 23:26-32)しかし,エホバに対するいかなる聖日も,その民が泣いたり悲しんだりする日となってはなりませんでした。むしろ,それらの日はエホバの愛ある親切による数々の驚くべき備えに感謝して,歓び楽しみ,エホバへの賛美を宣明する日となるべきでした。―ネヘ 8:9-12。
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