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安息日聖書に対する洞察,第1巻
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神の僕はエジプト脱出後までだれも安息日を守るよう命じられていませんでしたが,そのことは,申命記 5章2,3節や出エジプト記 31章16,17節の証,すなわち,「エホバはその契約をわたしたちの父祖たちと結ばれたのではない。わたしたち……と結ばれたのである」という言葉,また,『イスラエルの子らは安息日を代々にわたって守らなければならない。それはわたしとイスラエルの子らとの間の定めのない時に至るしるしである』という言葉から明らかです。もしイスラエルがすでに安息日を守っていたのであれば,申命記 5章15節で示されているように,安息日はエホバによるエジプトからの救出を思い出させるものとはならなかったはずです。安息日にはマナを拾いに出ないようにという明確な指示が与えられていたにもかかわらず,イスラエル人のうちのある人たちが7日目にもマナを拾おうとして出て行ったということは,安息日を守る生活が始まったばかりであったことを示唆しています。(出 16:11-30)シナイで律法が与えられた後に安息日を破った者がいたことについて記録されていますが,その最初の事例の扱いに不確かな点があったことも,安息日が制定されてまだ間がなかったことを示しています。(民 15:32-36)イスラエル人はエジプトにいた間は奴隷でしたから,その時代にたとえそのような律法のもとにあったとしても,安息日を守ることなどできなかったでしょう。ファラオはモーセが神に犠牲をささげるための3日の期間を求めた時でさえ,モーセの言うことは仕事の妨害だとして不満を表わしました。もしイスラエル人が7日ごとに1日休もうとしていたとすれば,事態ははるかに難しいものになっていたことでしょう。(出 5:1-5)確かに族長たちは7日を1週として時を計っていたようですが,7日目に関して何らかの区別を設けていた証拠はありません。しかし7は,しばしば完全さを表わす数として際立っていました。(創 4:15,23,24; 21:28-32)ヘブライ語の「誓う」という言葉(シャーヴァ)は,「七」という意味の言葉と同じ語根に由来しているようです。
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定めのない時聖書に対する洞察,第1巻
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オーラームという語はときに永遠のものと結び付けられています。(王一 2:45,脚注)預言者イザヤは,「地の果てを創造された方,エホバは,定めのない時に至るまで神である」と記しています。(イザ 40:28)エホバは「定めのない時から定めのない時に至るまで」存在されます。(詩 90:2)エホバは不滅で死ぬことがないので,とこしえにわたって神として存在されます。(ハバ 1:12; テモ一 1:17)しかし,オーラームというヘブライ語の表現それ自体に「永久」の意味はありません。それはしばしば,終わりのある物事を指しますが,そのような物事の存続する期間は,ある時点ではその終わりが特定されていないために「定めのない時に至る」と表現され得るのです。例えば,『定めなく存続する』律法契約はイエスの死と新しい契約の導入によって終わりに至りました。(出 31:16,17; ロマ 10:4; ガラ 5:18; コロ 2:16,17; ヘブ 9:15)また,『定めなく存続する』アロンの祭司職も同じように終わりに至りました。―出 40:15; ヘブ 7:11-24; 10:1。
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