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    聖書に対する洞察,第2巻
    • イスラエルの祭司職の任職において,モーセは任職の雄羊の血の幾らかを取って,アロンとその各々の子らの右の耳たぶ,および右手と右足に付けるよう命じられました。これは彼らの聴く事柄,行なう業,歩む道が,そこで起きている事柄によって直接影響を受けるべきであることを示しました。(レビ 8:22-24)同様に,清められたらい病人の場合も,律法によれば,祭司は罪科の捧げ物としてささげられた雄羊の血の幾らかと,ささげられた油の幾らかを,らい病人の右の耳たぶに付けることになっていました。(レビ 14:14,17,25,28)これと似た取り決めが,自分の主人に対して定めのない時まで奴隷でいることを望む人のために設けられた規定に見られます。そのような場合,その奴隷は戸柱の所に連れて行かれ,主人は彼の外耳を突きぎりで突き通すことになっていました。聞くための器官に付けられたこの際立った印は,主人に対して従順に注意を向けてゆきたいという奴隷の願いを表わしていたようです。―出 21:5,6。

  • 全き専心
    聖書に対する洞察,第2巻
    • 主人と奴隷の関係 全き専心は主人と奴隷の関係も暗示しています。創造者であるエホバは所有者であり主人であられます。エホバは創造者であるがゆえに神であられます。創造された臣民から全き専心を受けるのはエホバの権利であり,彼らはそのご意志を行なわなければなりません。正しい考え方をする人はエホバについて学び,神と自分との関係を認識すると,心からの全き専心を進んでささげるようになりますが,それがエホバの望んでおられることです。単なる形式的な専心や崇拝を神は嫌われます。(マタ 15:8,9)この関係と,エホバの望まれる自由意志による専心は,モーセの律法の中で例証されていました。ヘブライ人の奴隷は奴隷状態になって7年目に自由にされました。「しかしもしその奴隷が,『わたしは主人を,妻と子らを本当に愛している。自由にされた者として出て行くことは望まない』と,あくまでも言うのであれば,その主人は彼をまことの神のそばに連れて行き,戸または戸柱に向かわせなければならない。そして,その主人は彼の耳を突きぎりで突き通し,こうして彼は定めのない時までその者の奴隷となるのである」。(出 21:2,5,6)パウロはテサロニケ会衆の非ユダヤ人に,彼らがクリスチャンになった際,専心の対象が自発的に移し替えられたことについて述べました。彼らは偶像の奴隷であることをやめ,『生けるまことの神に奴隷として仕える』ようになったのです。―テサ一 1:9。

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