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書,書物,本聖書に対する洞察,第1巻
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出エジプト記 17章14節には,アマレクに対する裁きを「書」の中に記すようにというエホバの命令がありますが,このことはモーセの著作,つまり霊感を受けて記されたことが知られている最初の著作が,西暦前1513年には既に執筆中であったことを暗示しています。
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創世記聖書に対する洞察,第2巻
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筆者 モーセの時代に文字を書くことは知られていなかったという,かつて一部の懐疑論者が提起した反対意見は,現在では一般に無視されています。P・J・ワイズマンは自著,「創世記に関するバビロニアでの新発見」(1949年,35ページ)の中で,考古学上の研究を通して,「有史時代の最初期に書くことが始まっていた」ことを示す豊富な証拠が得られる,と指摘しています。事実上,現代のすべての学者たちは,モーセの時代(西暦前2千年紀)のはるか前に文字を書く技術が存在していたことを認めています。『これを記録として書の中に記せ』と述べる出エジプト記 17章14節に見られるような表現は,モーセの時代に文字を書くことが一般化していたことを確証しています。完全な人間であったアダムは,言語と,言語を完全に扱う能力を神から与えられていたので,書き方を考案する能力も備えていたに違いありませんが,アダムがそうしたという証拠は聖書にありません。―創 2:19,23。
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ハマン聖書に対する洞察,第2巻
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アガグ人ハメダタの子。「アガグ人」と呼ばれていることからすると,ハマンはアマレク人の王族であったのかもしれません。(エス 3:1。「アガグ」1項; 「アガグ人」を参照。)実際にハマンがアマレク人であったとすると,ハマンがユダヤ人に対して非常に激しい憎しみを抱いていた理由もおのずと明らかです。というのは,エホバはアマレク人の最終的な絶滅を布告しておられたからです。(出 17:14-16)その理由は,イスラエル人が荒野を旅していた時,アマレク人が先手を打ってイスラエル人に攻撃をしかけて,神と神の民に対する憎しみを表わしたことにありました。―出 17:8。
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