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出エジプト(エジプト脱出)聖書に対する洞察,第1巻
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使徒パウロは,例または予型としてイスラエル人に降り懸かった一連の事柄について述べ,その中にエジプト脱出を挙げています。(コリ一 10:1,2,11)ですから,それはもっと大きな事柄を象徴しているようです。生来のイスラエル人は聖書の中で霊的なイスラエル,つまり神のイスラエルを象徴するものとして用いられています。(ガラ 6:15,16)さらにモーセも,自分のような預言者が来ることを述べています。(申 18:18,19)ユダヤ人はその方が偉大な指導者,ならびに救出者となることを期待していました。使徒ペテロはイエス・キリストが大いなるモーセであられることを明らかにしています。(使徒 3:19-23)ですから,紅海でイスラエルが救出され,エジプト軍が滅ぼされたことには,霊的なイスラエルがイエス・キリストの手による偉大な奇跡によって,象徴的なエジプトに属する敵から救出されるという重要な意味があるに違いありません。また,神が紅海で行なわれた業によってそのみ名が高められたように,それらの予型的な出来事がもっと大規模な仕方で成就する時,エホバのみ名ははるかに広範囲にわたって一層有名なものとされるでしょう。―出 15:1。
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ヘブライ語聖書に対する洞察,第2巻
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動作が完結していない状態として考えられるなら,その動詞は未完了態です。このことをよく示す例となるのは出エジプト記 15章1節で,「モーセとイスラエルの子らは……歌い……はじめた」と記されています。ここでは,動作は開始されました(彼らは歌い「はじめた」)が,終わっていなかったので,“未完了”,つまりまだ終了していません。
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