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搾り場聖書に対する洞察,第1巻
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こうした搾り場では,はだしで,あるいは重い石を用いて果実の圧搾を行なうのが普通でした。2人から7人,あるいはさらに多くの踏み手が搾り場の中で組になって働きました。ですから,偉大な踏み手であられるエホバは独りで酒ぶねを踏む,とイザヤが述べたことは注目に値します。(イザ 63:3)踏み手たちの頭上には梁が渡され,そこから何本ものロープが垂れていて,人がつかまれるようになっていました。「ぶどうの血」がはね掛かって,踏み手たちの上衣は染まりました。(創 49:11; イザ 63:2)それはかなりの重労働でしたが,つぶす季節はふつう歓びの時で,楽しげに叫んだり歌ったりすると一定のリズムで踏むことができました。(裁 9:27; エレ 25:30; 48:33)三つの「詩編」(8,81,84編)の表題に出て来る「ギテトの」(ギリシャ語セプトゥアギンタ訳とラテン語ウルガタ訳では「ぶどう搾り場」と訳されている)という表現は,それらがぶどう収穫期と関連のある歌であったことを示唆しているのかもしれません。
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ぶどうの木聖書に対する洞察,第2巻
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預言的な用法 ヤコブが次のように言ってユダを祝福した時,その言葉には預言的な意味がありました。「彼は自分の成熟したろばをぶどうの木に[ラッゲフェン],雌ろばの子をえり抜きのぶどうの木に[ウェラッソーレーカー]つなぎ,自分の衣服をぶどう酒で,その衣をぶどうの血で必ず洗う。その目はぶどう酒によって濃く赤ら(む)」。(創 49:8-12)ヘブライ語のソーレーカーという言葉は,最も貴重な最上等の実をつける赤ぶどうの木を意味しています。(イザ 5:2; エレ 2:21と比較。そこには関連のある語ソーレークが出て来る。)苦しみの杭に掛けられたイエスの頭上に「ユダヤ人の王」という標識が付けられる数日前(マル 15:26),ユダの部族に属するイエス・キリストは,子ろばに乗ってエルサレムに入ることにより,エルサレムに対して自らを王として示されました。(マタ 21:1-9; ゼカ 9:9)イエスは雌ろばの子を文字通りのぶどうの木につないだわけではありませんが,王となるご自分の権利を,象徴的な,あるいは霊的なぶどうの木,すなわち神の王国に結び付けられました。―マタ 21:41-43; ヨハ 15:1-5と比較。
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