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アブサロム聖書に対する洞察,第1巻
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ジョン・キットウによれば,タマルの父ではなく,アブサロムが彼女を引き取ったことは,東洋の習慣と一致していました。その習慣によれば,一夫多妻の家族では,二親を同じくする子供たちのほうが一層しっかりと結ばれており,娘たちは「その兄弟から特別の世話と保護を受け……自分たちの身の安全と名誉に影響する事柄すべての点では,父親よりも兄弟に頼り」ました。(「日々の聖書図版」,『サムエル,サウル,およびダビデ』,1857年,384ページ)それよりもずっと以前に,妹のディナが受けた恥辱に対して復しゅうすることを買って出たのは,彼女の二人の実の兄弟レビとシメオンでした。―創 34:25。
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怒り聖書に対する洞察,第1巻
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怒りは正当な場合でも,制御されないなら危険であり,悪い結果をもたらします。シメオンとレビにとっては,妹のディナがヒビ人シェケムに犯されたのですから,彼に対して憤るのももっともなことでした。しかし,シェケムの地に住んでいたすべての男を無慈悲に殺りくしたのは,加えるべき罰としては度の過ぎたことでした。そのため,父ヤコブは彼らの無制御な怒りを糾弾し,その怒りを呪いました。(創 34:1-31; 49:5-7)人は非常に腹立たしく思った時に,自分の怒りを制御すべきです。地上で最も柔和な人だったモーセは,イスラエル人の不平や反逆的傾向にいら立って怒りに任せた言動をし,エホバを聖なるものとしなかったため,罰せられました。―民 12:3; 20:10-12; 詩 106:32,33。
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