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足のなえた人,足のなえた状態聖書に対する洞察,第1巻
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ヤコブの足のなえた状態 ヤコブは97歳のころ,肉体を備えて現われた,神のみ使いと夜通し組み打ちをするという経験をしました。ヤコブは優勢になって,み使いを引き止めたので,ついにみ使いはヤコブに祝福の言葉を語りました。その争いの際,み使いはヤコブの股の関節のくぼみに触れて,関節を外れさせました。そのため,ヤコブはびっこを引くようになりました。(創 32:24-32; ホセ 12:2-4)み使いが述べた通り,ヤコブは「神[つまり,神のみ使い]また人と闘って,ついに優勢になった」とは言え,それ以後,実際には神の強力なみ使いを打ち負かしたのではないことを思い起こさせるものを持つことになりました。ヤコブはみ使いと闘うことを許され,神の祝福の必要性を深く認識していたことを示す証拠を提出しましたが,ひとえに神の目的と許しによってそうすることができたのです。
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名聖書に対する洞察,第2巻
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名前の変更,もしくは新しい名 名前は特別の目的のために変えられることもあれば,名を付け加えられることもありました。ラケルは,死にそうになっていた時,生まれたばかりの自分の息子をベン・オニ(「わたしの嘆きの子」の意)と呼びましたが,彼女に先立たれた夫ヤコブは,その子をベニヤミン(右手の子)と名付けることにしました。(創 35:16-18)エホバはアブラムの名をアブラハム(群衆(多数のもの)の父)に,サライ(恐らく,「争いを好む」)の名をサラ(王妃)に改めさせましたが,それらの新しい名はどちらも預言的な意味を持つ名でした。(創 17:5,6,15,16)ヤコブはひとりのみ使いと組み打ちしてねばり強さを示したため,「あなたの名はもはやヤコブではなく,イスラエル[「神と闘う(神に対してねばり強い)者」または「神は闘う」]と呼ばれる。あなたは神また人と闘って,ついに優勢になったからだ」と言われました。(創 32:28)名前のこの変更は神の祝福の印であり,後日,そのことが確証されました。(創 35:10)それで,聖書が預言的に「新しい名」のことを述べている場合,それはその名を持つ者をふさわしく表わす名のことを指しているものと思われます。―イザ 62:2; 65:15; 啓 3:12。
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