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  • 口頭伝承によらない義
    ものみの塔 1990 | 10月1日
    • しかし山上の垂訓の中では6回にわたり,「と言われた」という言葉で,ヘブライ語聖書中の陳述のように聞こえる言葉を紹介しておられます。(マタイ 5:21,27,31,33,38,43)なぜでしょうか。イエスは,神のおきてと矛盾するパリサイ人の伝統に照らして解釈されていた聖句に言及しておられたからです。(申命記 4:2。マタイ 15:3)この点は,イエスが行なわれたこの一連の参照の最後である6番目の参照で,明らかにされています。つまり,「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました」という言葉です。しかし,「あなたの敵を憎みなさい」と命じているモーセの律法はありません。そう言ったのは書士とパリサイ人でした。あなたの隣人を愛しなさい,という律法を彼らはそう解釈したのです。ほかの人たちではなく,ユダヤ人である隣人を愛しなさい,と彼らは解釈しました。

  • 口頭伝承によらない義
    ものみの塔 1990 | 10月1日
    • 18 (イ)ユダヤ人は隣人を愛することに関する律法をどのように変えてしまいましたか。しかしイエスはこれにどう対抗されましたか。(ロ)「隣人」の適用を限定したいと思っていたある律法家に,イエスはどのようにお答えになりましたか。

      18 イエスは6番目の最後の例の中で,モーセの律法がラビの伝統によりどのように弱められたかを明示されました。「『あなたは隣人を愛し,敵を憎まなければならない』と言われたのをあなた方は聞きました。しかし,わたしはあなた方に言いますが,あなた方の敵を愛しつづけ,あなた方を迫害している者たちのために祈りつづけなさい」。(マタイ 5:43,44)モーセの成文律法は,愛に制限を設けてはいません。「あなたの仲間を自分自身のように愛さねばならない」となっています。(レビ記 19:18)このおきてからしりごみしたのがパリサイ人でした。彼らはそれから逃れるために,「隣人」という語を,伝統を守る人々に限定しました。後にイエスが,『あなたの隣人を自分自身のように愛せよ』という命令をある律法家に思い起こさせた時,その人は言い逃れをし,「わたしの隣人とはいったいだれでしょうか」と述べていますが,その背後にはこういう理由があったのです。イエスはその答えとして,善良なサマリア人の例えを話されました。あなたを必要としている人に対して,隣人とならなければならないのです。―ルカ 10:25-37。

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