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「この親にしてこの子あり」ものみの塔 1981 | 3月1日
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を奪って,ゲバとミヅパの建設工事に用いました。―歴代下 16:1-6,新。
しかし,アサの信仰に欠けた行為はエホバの注意を免れることはありませんでした。ご自分の預言者ハナニを通して神はアサにこうお告げになりました。「あなたはスリアの王に頼り,あなたの神エホバに頼らなかったので(す)。あのエチオピア人とリビア人は,戦車や騎手の点でおびただしい,非常に大きな軍勢ではなかったでしょうか。けれども,あなたがエホバに頼ったので,主は彼らをあなたの手に渡されたのではありませんか。エホバに関しては,その目はあまねく全地を行き巡り,ご自分に対して心の全き者たちのためにみ力を表わしてくださるのです。あなたはこのことに関して愚かなことをしました。今からあなたに対して戦争があるからです」― 歴代下 16:7-9,新。
これらの言葉を聞いて,アサはへりくだった態度を示したでしょうか。そうではありませんでした。アサは怒ってハナニを獄につなぐよう命じました。アサはまた,民のほかの者たちをも虐げるようになりました。アサの生涯の最後の3年間は幸福なものではありませんでした。痛風と思われる足の病を患いました。しかし,そのような時にも,エホバ神に助けを求めようとはせず,いやしを行なうために秘術という手段にさえ訴えたかもしれない治療者たちに助けを求めました。約41年統治したのち,アサは死にました。―列王上 15:23,24。歴代下 16:10,12-14,新。
アサの生涯は,善きにつけ悪しきにつけ,自分の親の影響を無視できないことを如実に物語っています。しかし,アサの事例は,「この親にしてこの子あり」という言葉が世の常とは限らないことを示しました。
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読者からの質問ものみの塔 1981 | 3月1日
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読者からの質問
● 神の王国とキリストの王国を区別するのは正しいことですか。また,使徒ペテロが「わたしたちの主また救い主イエス・キリストの永遠の王国」に言及しているのに,『王国を自分の神また父に渡す』時に,イエスの支配権は終わりに至るとどうして言えるのですか。―ペテロ第二 1:11。コリント第一 15:24。
イエスはご自分の追随者たちに,「あなた[父]の王国が来ますように」と祈るよう教えられました。(マタイ 6:9,10)ですから王国は神のものです。「とこしえの王」であられるエホバは,限られた期間,特定の目的のためにご自分の独り子に支配権の責任を与えておられます。この指定された期間,イエスはみ父の右手から遣わされた代理の支配者として仕えます。―テモテ第一 1:17。詩 110:1,2。ダニエル 4:17。
悪魔になった霊的な子,および地上の最初の人間たちの反逆の結果,エホバはご自分の支配権を新たな方法で表明することを意図されました。これは約束の「胤」を通して行なわれます。(創世 3:15,新。エフェソス 1:8-12)イエスはご自分が亡くなるその日に,弟子たちにこう言われました。「わたしは,ちょうどわたしの父がわたしと契約を結ばれたように,あなたがたと王国のための契約を結び,あなたがたがわたしの王国でわたしの食卓について食べたり飲んだり(する)ようにします」。そうではあっても,イエスと共に支配する者たちを選び,それらの者たちに王国政府における立場を割り当てられるのは父です。―マタイ 20:23。ルカ 12:32; 22:29,30。ローマ 8:16,17。
14万4,000人の共同の王たちと共に支配するこの委任された権威のゆえに,王国,つまりメシア王国はイエスの手中にあると言っても差し支えありません。ダニエルは,イエスとこれら「聖なる者たち」が職務に就けられるという,当時からすれば将来の出来事を幻で見て,こう述べています。「彼は日を経た方[エホバ]に近づき,彼らは彼をその方のすぐ前に連れて来た。そして,この方には支配権と尊厳と王国とが与えられた。もろもろの民,国民,また諸言語の者が皆,この方に仕えるためであった。その支配権は,過ぎ去ることのない定めなく続く支配権で,その王国は滅びに至ることのないものである。……『そして,王国と支配権と,全天下の諸王国の偉観とは,至上者の聖なる者である民に与えられた』」― ダニエル 7:13,14,27,新。
こうして立てられた権威はエホバの宇宙的な王国つまり政府の取決めの範囲内で働くので,イエスがメシアなる王として支配を始める時に,天からの大きな声が次のように語ったのはふさわしいことでした。「世の王国はわたしたちの主[エホバ]とそのキリスト[つまり神によって油そそがれた者]の王国となった。彼[エホバ]はかぎりなく永久に王として支配するであろう」。ですから,メシア王国はその権力と権威を,創造物すべてに対する宇宙の主権者であられるエホバから受けています。―啓示 11:15; 4:11。ヨハネ 5:19,30。
復活させられ,栄光を受けたイエス・キリストはご自分が人類全般を天から治め始める時を父の右で待っておられました。(使徒 2:32-36。ヘブライ 10:12,13)これは,「今や,救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した!」と天からの大きな声が宣明する時に対応します。(啓示 12:10; 11:17,18と比較してください。)イエスと共に,人類の中から選ばれた14万4,000人の者たちが共同相続者として支配します。これらの者について,彼らは「神およびキリストの祭司となり,千年のあいだ彼と共に王として支配する」と述べられています。―啓示 20:6; 14:1,3。
その千年統治の終わりには,王国の恩恵を自ら活用した地上の人間すべては,完全にされて神のみ前に立ちます。それらの人々は罪を犯す前のアダムに匹敵する者となります。父から割り当てられた業を成し遂げたイエスは,その時,「王国を自分の神また父に渡します」。(コリント第一 15:24-28)それ以降,エホバと従順な人類との間には,どんな副次的な王国も残されていません。メシアの関係する局面は終わりますが,エホバの王国はとこしえに続きます。キリストとその王国相続者たちの支配権は『決して破滅に至ることがなく』,また「ほかのどんな民にも渡されることがありません」。(ダニエル 2:44,新)委任されていた特別な権威は再びエホバの下に戻るにすぎません。「その時には,み子自身も,すべての者を自分に服させた方に自ら服し,こうして,神がだれに対してもすべてのものとなるようにするのです」― コリント第一 15:28。
キリストによる王国の恩恵は「永遠」に続きます。もっとも,ペテロ第二 1章11節で用いられているアイオニオスというギリシャ語の一つの意味からすれば,その王国は実際には『一期間続いた』にすぎないということになります。相対的に言うと,イエスの千年間の統治はとこしえのものです。地上で統治した人間の王の支配期間とは対照的に,人類を治めるイエスの王国は幾世紀もの間続きます。その統治は,人類史上最も長生きした人,つまりメトセラの生存期間よりも長く続きます。メトセラはあと31年で1,000歳になるところまで生きました。(創世 5:27)それだけではなく,イエスは依然としていわば名誉職としての王の立場にとどまられるでしょう。王権を持つ者としての立場は,イエスがメシア王国を父に返すというだけの理由で終わるわけではないからです。イエスは人類に対して常に深い関心を抱かれるでしょう。エホバの熟達した働き手であられたイエスは次のように語ったことが示されているからです。「わたしが親愛の情を抱く事柄は,人の子らに関してであった」。(箴 8:31,新)また,イエスが人類のために行なわれた事柄すべてのゆえに,イエスは人々の心の中にあって特別に親密な位置を常に占めることでしょう。これは,イエスが「永久に祭司」であることについて述べるヘブライ 7章17節と調和します。
イエスとその共同支配者たちが千年統治後一体どんな割当てを受けるのかについて,聖書はなにも述べていません。都市に似た天の新しいエルサレムを描写した中で,啓示 22章5節は,「かぎりなく永久に王として支配する」人々に言及しています。証拠からすれば,これはイエスの共同支配者たち,イエスの花嫁を形成する14万4,000人を指していると思われます。わたしたちは,創造物全体の奉仕の割当てを世話する面で,エホバがこれらの者たちにすばらしい特権と機会の数々を用意しておられることに確信を抱けます。
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聖書がわずか700円ものみの塔 1981 | 3月1日
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聖書がわずか700円
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