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生活の中の重要なことを選びましょうものみの塔 1971 | 12月15日
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重要な事柄としていれば,ちょっとした無礼や怠慢や手抜かりは大目に見ることができます。そうしたことはあなたにとって小さな事柄に思えます。事実それは小さな事柄です。そうなると,同じことをして仕返しをしたり,恨みをいだいたりせず,イエス・キリストが弟子たちに助言されたように,別のほほを向けます。―マタイ 5:39。
この教訓を強調しているのが,使徒ペテロの,「何事よりも先づ互に熱く相愛せよ。愛は多くの罪を掩へばなり」という助言です。これを実行することは,正しい見方をもっていること,つまり人の無礼などは小さな事柄のなかにはいり,クリスチャンのあいだの愛と平和と一致は,生活のなかの重要な事柄であると見ていることを示します。―ペテロ前 4:8。
たしかに,何を生活のなかで重要なこととし,何を小さなこととするかを,注意深く考慮するのは知恵の道です。この問題における正しい選択は,現在においては平和と喜びと満足を得ることに,そして近づくエホバ神の新しい体制においては,永遠の生命を得ることに寄与するからです。
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神は地の支配者たちを賢明な仕方で選ばれるものみの塔 1971 | 12月15日
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神は地の支配者たちを賢明な仕方で選ばれる
過去16世紀にわたりキリスト教世界の諸教会は,みずから主張する使命 ― 世界をキリスト教に改宗させることに熱心に従事してきました。それはどれほど成功しましたか。
諸教会はみじめにも失敗しました。なぜでしょうか。なぜなら,世界の改宗は教会独自の考えであって,神の考えではないからです。もしそれが神の考えであったなら,教会は成功していたでしょう。(イザヤ 46:9,10)では神は,すべての人間に関心をお持ちではないのですか。もちろんお持ちです。しかも非常に深い関心をお持ちです。しかし神はこの19世紀間,一般人類を改宗させることに忙しく努力してこられたことは一度もなく,また真のクリスチャンにもそうする使命をお与えになりませんでした。
誤解してはいけません。神はたしかに,救いをすべての人の手のとどくところに置くよう意図されています。そして,そのための時を定めておられます。(伝道 3:1)しかしながら,過去1,900年のあいだ,神はご自分が救う者を精選してこられました。なぜですか。なぜなら,神は最近まで,人類の支配者となるべき者だけを選んでこられたからです。
キリストが選択を開始された
イエス・キリストも地上におられたとき,選択にあたって慎重を期したことを読者は思い起こされたでしょう。イエスが,それを受けいれる人間すべての救いのためにあがないを備える目的で,この地にこられたのは事実です。(マタイ 20:28。ヨハネ 3:16)しかしキリストが地上にこられた第一の目的は,義をもって世界を支配する神の王国の王としての資格を得るために,神への忠誠
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