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    ものみの塔 1970 | 4月1日
    • 世界の諸問題の解決策です」と語り,自分の学んだ事柄を多くの知人に話しはじめます。そして,神のみことばの真理から光と理解とを得て,学ぶ者また弟子となるように見えます。しかし石地に根をおろした種は育つものではありません。それはイエスのことばどおり,「みことばのために艱難,あるひは迫害のおこるときは,直ちにつまづくもの」です。イエスの予告どおり,多くの人は真理のために激しい反対にあいました。終わりの時に関する預言の一つとして,イエスはルカ伝 21章16,17節でこう言明されました。「汝らは両親・兄弟・親族・朋友にさへわたされん。またかれらは汝らのうちのある者を殺さん。汝らわが名のゆゑにすべての人に憎まるべし」。親族や友人からさえ受けるそうした激しい反対のために,ある人々はつまずくのです。

      16 つまずいた人々は,石地にまかれた種に似ています。なぜですか。

      16 聖書が示すとおり,そのような人はみことばを聞いて大いに喜びますが,石地にまかれたため,根をおろすことができません。自分が新たに見いだした希望について,親族・友人・隣人,その他できるだけ多くの人に話しますが,やがて迫害や患難がはじまり,その困難な事態は,神のみことばの真理に対する信仰を捨てるまで続きます。そして,さまざまな障害に直面します。牧師を尋ねて,神のみことばから得た喜びのほどを述べても,たいていは,聖書の研究をやめるようにと水をさされます。「エホバの証人には十分注意なさるほうが賢明です。彼らはあなたを惑わすからです」と言われるかもしれません。こうして親族・友人・宗教組織その他からの反対が増し加わり,また自分の心に宿るかたくなで利己的な考えに災いされて,直理の種は根をおろすことができません。みことばが心に深く植えられていないため,すぐつまずいてしまいます。根をおろし,成長するには,石地はあまりにも荒く,また堅すぎるのです。

      17 いばらの中にまかれた種はどうなりますか。

      17 さらにイエスはこう言われました。「いばらの中にまかれしとは,みことばをきけども,世の心労と財貨の惑とに,みことばをふさがれて実らぬものなり」。(マタイ 13:22)種は根をおろし,芽を出しましたが,まわりのいばらに妨げられて成長できませんでした。しばらくの間はみことばを聞き,その真意を理解できるかもしれませんが,現在の事物の体制とその心づかい,とりわけ,だれもが追求すべきものとされている富の惑わす力にとらわれているため,そうしたいばらのような事柄に妨げられて,決して実を結びません。わたしたちは,よこしまで無情かつ利己的な思いに満ちた事物の体制の下にあることを忘れてはなりません。人々は互いに敵対し合い,自称クリスチャンの大多数の愛は冷えました。したがって,現在の事物の体制下の心づかいや,富の惑わす力にとらわれるなら,直理のことばはたちまちふさがれてしまいます。それでこのような人も実を結びません。そのような人の生活には,「植えられたことば」を受け入れる余地がないため,成長が妨げられ,霊的に死んでしまいます。

      良い土のような人々

      18 (イ)良い土にまかれた種はどうなりますか。(ロ)昨奉仕年度中,どのようにして多くの人が神のみことばの真意を悟るように助けられましたか。

      18 しかしイエスはこう続けます。「良き地にまかれしとは,みことばをききて悟り,実を結びて,あるひは百倍,あるひは六十倍,あるひは三十倍に至るものなり」。(マタイ 13:23)それには,『みことばを聞いて,悟ら』ねばなりません。神のみことばの真意を悟るには,個人的な研究を行なわねばなりません。エホバの証人はそうした個人的な研究を奨励するため,1969奉仕年度中,良い土と思える人々を見いだして,毎週109万7,237の家庭聖書研究を司会しました。それら個人的な家庭聖書研究の多くは成果を収めました。エホバの証人は,人々が御国のことばに接するのを助けています。そのために2億3,976万9,076時間を費やして,すべての国の人々に語りかけ,関心のある幾万もの人々と家庭聖書研究を始めました。そのすべてが聖書研究を毎週行なったわけではありませんが,1969年度の野外奉仕報告によれば,毎週百万以上の聖書研究が司会されました。神のみことばを学ぶためのこうした研究は必要です。なぜなら,それは心に宿るよこしまな考えを除き去るのに役だつからです。その結果,真理が人の心に育つのです。比ゆ的に言って,せわしい道ばたや石地,あるいはいばらの中では,だれも成長できません。良い土でなければ,成長は期待できません。あなたはどんな土ですか。わたしたちは,あなたが植えられたみことばを柔和に受け入れ,『すべての汚れ,およびあの無用なこと,すなわち道徳上の悪を捨て去る』人であってほしいと思います。真理の種が芽を出すには,根をおろすための良い土でなくてはなりません。

      19 (イ)人は自分が良い土に似た者であることを,どのように示すことができますか。(ロ)1969奉仕年度中,多くの人は自らが良い土であることを示しました。その証拠を述べなさい。(ハ)過去4年間にバプテスマを受けた人の数を考慮すると,何がわかりますか。

      19 殺人・姦淫・淫行・盗みその他のよこしまな考えを心から除き去るなら,人は自分が良い土であることを示せます。(マタイ 15:19)人の心に植えられた神のことばは,やがてりっぱに成長して実を結びます。あなたはクリスチャンとして成長しておられますか。真理,すなわち御国のことばは心に深くはいっていますか。そして,しっかりと根をおろし,よく成長していますか。そうであれば,やがて実を結ぶでしょう。このすべてを励ますものとして,イエスはこのたとえ話を次のことばで結びました。「良き地にまかれしとは,みことばをききて悟り,実を結びて,あるひは百倍,あるひは六十倍,あるひは三十倍に至るものなり」。(マタイ 13:23)エホバの証人が会って話をし,聖書研究を行なった,関心のある人々の多くは,自らが良い土であることを示しました。彼らはエホバに献身し,1969奉仕年度だけで12万905人がバプテスマを受けて,エホバのクリスチャン証人になりました。エホバの証人として知られる,献身してバプテスマを受けた人々がそれぞれ百倍,六十倍,あるいは三十倍の実を結んでいると言えますか。明らかにそれぞれ実を結んでいます。過去数年を振り返って見てください。1966奉仕年度には5万8,904人がバプテスマを受け,1967年度には7万4,981名,1968年には8万2,842名がそれぞれバプテスマを受けました。そして今や1969奉仕年度には12万905名が,献身してバプテスマを受けたクリスチャンとして生み出され,『御国のことば』を伝えるわざに携わりました。なんとすばらしいことでしょう。わたしたちはこうした豊かな祝福をエホバに感謝します。

      20 (イ)“植える”とはどういう意味ですか。(ロ)このことは,わたしたちの教えるわざにどのようにあてはまりますか。

      20 種あるいは神のみことばのいずれにしても,それを植えるには,まず第一にそれをしっかりと,つまり深く植えねばなりません。“植える”とは,植物が根を出して生長できるようにするため,種を地中に埋めるという意味です。同様に,教えるとは,学んでいる人が学んだ事柄を実行するのを助けることです。良い土のような学習者の心に真理が植えられると,その人は実を結びます。それは真理を学んだ結果です。幾世紀も昔,ユダヤ人がエホバの保護に恵まれた選民だった時分,エホバはイスラエル人の親たちすべてに対し,神のみことばの真理を子供の心に教え込むようにと命じられました。エホバは,親たちが知識と理解を持つことを望んでおられたのです。親たちに対するその命令は次のとおりです。「今日わが汝に命ずるこれらのことばは汝これをその心にあらしめつとめて汝のこどもに教へ家に坐する時も路を歩む時も寝る時も興る時も これを語るべし」― 申命 6:6,7。

      21 (イ)イエスの時代にユダヤ国民の犯したどんな失敗が,今日のキリスト教世界に見られますか。(ロ)キリスト教世界は音信を聞く機会に恵まれなかったと主張できますか。

      21 しかしユダヤ人は一国民としては,親たちから与えられた健全な助言を受け入れなかったために道に迷い,世の心づかいや富の惑わす力に災いされて,そうしたことばを忘れ,神との関係を見失いました。今日のキリスト教世界についても同じことが言えます。その教会の成員も神のみことばを退けています。多くの人は真のクリスチャンになることを望んでいません。次のことをしるした使徒パウロはこの点に気づいていました。「彼らと同じく,わたしたちにも良いたよりが告げ知らされたからである。しかし,その聞いたことばは,彼らに益を与えなかった。なぜなら,彼らは,ほんとうに聞いた者たちと信仰によって結ばれていなかったからである」。(ヘブル 4:2,新)パウロのことばからすれば,神のことばは多くのヘブル人に告げ知らされたことがわかります。事実,パウロは2種類の人々について述べています。それは良いたよりを聞いただけで何もしなかった人と,良いたよりを聞いたのちに,それを宣明していた者たちと信仰によって結ばれた人々のことです。今日,エホバの証人はキリスト教国で戸別訪問を続け,良いたよりを宣明していますが,多くの人の心は「鈍く,耳は聞くにものうく」なっています。(マタイ 13:15)世の人々は真理について聞く機会に恵まれなかったというのではありません。人々はその機会に確かに恵まれています。過去50年間,神の御国の良いたよりは宣べ伝えられ,殊にこれまでの25年間,全地でいよいよ徹底的に宣べ伝えられました。しかしそれに答え応じた人は比較的少数でした。それにしても,御国のことばを聞いてその真意を悟る人は,何を行なわねばなりませんか。

      「柔和に」

      22 (イ)神のみことばが人の心に植えられるためには,その人はどんな霊の実を持っていなければなりませんか。(ロ)このことからすれば,どんな人は除外されますか。

      22 イエスの異父弟ヤコブは,種まき人に関するイエスのたとえ話をよく知っていたことでしょう。それでヤコブは,植えることについて述べた時,イエスの話された事柄を心にとめていたと思われます。ヤコブは次のように語って,そのたとえ話をみごとに要約しています。「すべての汚れ,およびあの無用なこと,すなわち道徳上の悪を捨て去り,あなたがたの魂を救い得ることばが植えられることを,柔和に受け入れなさい」。人は,植えられたことばを柔和に受け入れねばなりません。わたしたちはこのことを心にとめましょう。クリスチャンの教え手は,たかぶった思いを持つ高慢な人の心にみことばを鳴り響かせるのではありません。なんでも知っているというような顔をする人は,けんそんな態度を示すことができません。根をおろせない岩のような堅い土に植えることはできません。知識と理解を捜し求める人の心にはいった聖書の真理は,偉大な創造者に対し深い敬意をいだくその人の思いと心に奥深くはいります。そしてその種はやがて芽を出して生長し,時節が来ると成熟します。イエスが言われたとおり,たしかに『実を結び』ます。ある人は百倍,あるいは六十倍,また別の人は三十倍の実を生み出します。これは確かに真実です。真理を知り,戸別訪問による伝道と聖書研究の司会に時間を費やす人々の収めた成果を考えると,それらの人は成すべきわざを確かに行なっているということがわかります。「それゆえ,行って,すべての国の人々を弟子とし……バプテスマを施し(なさい)」とイエスは言われませんでしたか。(マタイ 28:19,新)エホバの証人は一生のあいだに30人,または60人,あるいは100人ほどの人々が真理を理解するのを助けることができるかもしれません。『御国のことば』が良い土にまかれるなら,それはやがて良い実を生み出します。あなたは聖書を教える者となるために努力しましたか。「行って…人々を弟子とし…彼らにバプテスマを施し(なさい)」とのイエスのご命令に答え応じておられますか。

      23,24 人格を改めるという点で,100万を越えるエホバのクリスチャン証人は何をしましたか。

      23 今日,100万を越えるエホバの証人は,道徳上の悪・肉の汚れなどの無用なものを捨て去ることによって,救いを得るための正しい段階を進んでいます。彼らはパウロの語った次のことばを信じています。「あなたがたの以前の生き方に基づき,人を欺く欲望にしたがって腐敗している古い人格を脱ぎすて,あなたがたの心に動く力によって新たにされ,真の義と忠節にそいつつ,神の御心にしたがって造られた新しい人格を着けるべきである」。(エペソ 4:22-24,新)「神の御心にしたがって造られた」新しい人格を築くには,まず第一に古い人格を脱ぎ捨てなければなりません。それ以外に道はありません。そうすれば,変化が生じはじめます。そして,「魂を救い得ることばが植えられることを柔和に受け入れ」る人の心には,新たな力が働くようになるでしょう。パウロはそうした新しい人格を築くことに深い関心をいだいていました。コリント前書 9章27節(新)で次のように述べたのもそのためです。「わたしは自分のからだを押えて,奴隷のようにこれを導く。それは,他の人々に伝道しておきながら,どうかして自分が非とされることのないためである」。

      24 タルソのサウロはその心に『御国のことば』を植えられて,使徒パウロになりました。彼は自分が良い土であることを示しました。そして多くの実を結ぶことを願った彼は,行って伝道し,人々にバプテスマを施しました。この点でパウロは今日のわたしたちの良い模範です。

  • ある人々は信者になった
    ものみの塔 1970 | 4月1日
    • ある人々は信者になった

      1 良いたよりを宣べ伝えることに関して,使徒パウロはどんな態度をとりましたか。

      使徒パウロはすぐれた福音伝道者でした。彼は喜んで地の果てに行って,神の御国の良いたよりを宣べ伝えました。アテネでは,エピクロス派・ストア派などの学識の深い哲学者としばしば論議をかわし,かなりの論争を引き起こしました。こうしるされています。「ある者らは[パウロ]に言ふ『このさへづる者なにを言はんとするか』ある者らは言ふ『かれは異なる神々を伝ふる者のごとし』これはパウロがイエスと復活とを宣べたるゆゑなり」。(使行 17:18)その後まもなく,パウロはそれらの人々に伴われて,裁判所のある丘つまりアレオパゴスに急いで出かけ,人々はそこでパウロの話をさらに詳しく聞きました。アレオパゴスの中に立ったパウロは語りました。「アテネ人よ,我すべてのことについて汝らが神々を敬ふ心のあつきを見る」― 使行 17:22。

      2 パウロはまことの神についてどのように証言しましたか。

      2 使徒行伝 17章22節から34節までの記録を読むと,パウロが神について語った事柄から多くを学べます。パウロはアテネ人に向かって,「知らざる神に」としるされた祭壇を見たことを述べ,その事実を用いて話の要点を明示できました。というのは,彼らが知らずに拝んでいるのは,「世界とその中のあらゆる物とを造り給ひし神」であると人々に語ったからです。パウロが彼らに広めようとしていたのは,ほかならぬこの神でした。パウロの崇拝していた,人々の「知らざる神」は,何物をも必要としてはおられませ

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